365日旅日記。(香港編)

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365日旅日記。(香港編:2012年12月27日-29日)
Day38:2012年12月27日】

朝6時、飛行機は香港国際空港に到着した。

僕にとって香港は今年3回目、新鮮さはなかった。
そもそも、オーストラリアへの経由地として立ち寄ったまでで、
香港では中華料理が食べれればいいや、くらいで、
ここに行こうという場所はお互いに考えてなかった。

ホテルのチェックインはお昼だったのでまだ時間がある。
でかいバックパックを持って街中を歩くのも億劫だった。

到着した僕たちは、入国審査を済ませ、荷物をピックアップしたのち、到着ラウンジへと向かった。

出発時のビジネスクラスのラウンジは広くて、豪華さもあるが、
到着ラウンジは、どちらかというとこじんまりして地味な感じだった。

軽食とシャワーとPCと多少の休憩が出来ればいい。
そんな、最低限の設備を備えた空間だった。

機内食でお腹が一杯になっていた僕たちは、
名実ともに軽食をすませたのち、インターネットをしながら、時間を潰した。

今後オーストラリアで行う、ブラジルビザ申請について調べてみる。
日本人がオーストラリアでブラジルビザ申請を行ったというような情報はとても少ない。
申請に何が必要で、いつどこに行けばいいのかという基本的な情報にすらすぐ辿り着かない。

「オーストラリア ブラジルビザ申請」など日本語で検索しても、辿り着くのは不要な情報ばかり。
「australia brazil viza」と英語で検索してみるが、どれが公的なサイトなのか一見わからない。

ネットがあればすぐに一通りの調べ物が片付く日本とは勝手が違う。

これもまた一つの経験だ、と検索ワードを変え、サイトを覗き、
何とか在オーストラリアのブラジル大使館らしきページまで辿り着くことが出来た。

必要書類を確認していると、「申請者名義の銀行口座の残高証明書」とあるがこれが困った。
僕は、2度の香港訪問を経て海外の銀行口座を開設していたが、嫁は日本の銀行のみ。
ネットバンキングのページも当然日本語のみだが、それで認めてもらえるのだろうか。

日本では、夫婦を確認できる書類を提出すれば1つの口座でいいとあったが、
オーストラリアでは、それについて言及されていなかった。

念のため、画面をスクリーンキャプチャし、
エクセルに貼り付け、英文に加工し、印刷するという作業をした。
なんだか、偽造しているみたいだが、やむを得ない。

ブラジルビザに必要な書類を一通り揃えたのち、
他の調べものをしていると時間も程よくなってきたので到着ラウンジを後にすることにした。

空港から中心街まで移動し、
予約していたゲストハウスの入っている重慶マンションに向かう。

深夜特急の舞台ともなった香港屈指の安宿ビルに初めて足を踏み入れた。
1階は両替屋が数多く並び、インド系の人が多くいる。
都会と化している外の街並みとは一線を画す不思議な雰囲気を醸し出していた。

ビルの構造も複雑で、間違ったエレベータに乗ると辿り着けない。

無事宿にチェックインして荷物を部屋に置く。
噂には聞いていたが、大分密度の高い安宿ビルだ。
寝るだけなら十分だが、ほぼベッドで部屋が埋まっている。

僕たちは再び街に出て、あたりを散策することにした。

クリスマスを終えた香港は、年末に向けて多くの観光客で賑わっていた。

一通り散策したのち、夕食の混む時間を前に、
安くて美味しいと評判の鼎泰豊の本店へと足を運んだ。

ショッピングセンター内の他の店がガラガラの中、
鼎泰豊だけが多くの人で溢れていた。

IMGP1432.JPG

運よく2名席が空いており、待たずに入ることが出来、
僕たちは担担麺と小龍包を注文した。

確かに美味しい。

もはや初日の夕方にして、香港の目的の8割は達成した気分になった。

その後も店を出てから、エッグタルトを露店で摘み、
あとは明後日の出発を待つのみという気分になって、この日を終えた。

Day39:2012年12月28日】ラーメン食べてたら、ガキって…

宿は確かに狭かったが、清潔に保たれていて、寝心地は良かった。
朝起きて窓から外を眺めたが、すぐ隣のビルの壁が迫っており太陽の光を浴びることは出来なかった。

特に予定もない僕たちは、
昼を前にゆっくり行動を開始した。

お腹が空いてきたので、香港のラーメンでも食べようと中華料理屋に入った。
この店は、10月に1人で香港に訪れた際にも来ていた店だった。

前回と同様、好物の酸辣湯麺を注文する。
スープ、具、麺が選べて、飲物付きで300円程度。
中々のコストパフォーマンスだと思う。

ここで、事件は起きた。

ラーメンを美味しく頂いていると、突然、固い異物を噛んだ。
具は柔らかいものしかない。
もしかしてと思い固い異物を確認すると、案の定奥歯の詰め物だった。

出発前に万全を期して、歯を全面的に治療した。
以前治療した歯の中で虫歯が進行していたこともあり、治療は1年に及んだ。
保険治療を選ばなかったこともあり費用も相当積んで治した。はずだった。

問題なさそうだった奥歯の詰め物が外れるとは想定外だった。

目の前には結構大きな詰め物が僕に対峙している。

どうするべきか。
日本に帰って治療する費用的・時間的余裕はない。
では、香港あるいはオーストラリアで治療すべきなのか。
残りの旅程は11か月残っているけど、放置したらまずいのだろうか。

ライフカードのCMさながら、僕の前に数枚のカードが現れた。

とはいえ、歯のことなので素人判断で決めるわけにもいかない。
取り急ぎ、日本にいる歯科医師の先生に意見を求めることにした。

メールを送ると間もなく返信がきた。
先生の意見は至極全うなもので「現地での治療を勧める」というものだった。
放置しようと考えていた僕のカードはゴミ箱へと葬り去られた。

「オーストラリアは高いし、評判があまり良くない。
 香港なら日本語の通じる医者もいるだろうし、コンシェルジュに聞いてみるといい」

残念ながら、コンシェルジュがいるようなホテルには泊まっていないので、
自力で歯科医院を探すしかない。

オーストラリアの宿・レンタカーの手配もしなくてはいけないのだが、
それどころではなくなってしまった。

こういう時に、ネット社会というのは便利だ。
すぐに、日本語の通じる歯科医院を2-3リストアップすることが出来た。
また、費用的には虫歯がなければ数千円で済みそうだということもわかった。

ただ、出発は明日の午後。この時点で既に日は暮れ夜遅くなっていた。
残された時間は明日の午前中しかない。

歯科医院によっては、24時間電話で予約の受け付けはしているようだった。
にも関わらず、英語への苦手意識が立ちはだかる。受話器に手が伸びない。
歯医者の先生は日本語が喋れても、受付は英語だから気が引ける。

明日、近くの歯医者へ直接行けば何とかなるのでは、と前向きに自分に言い聞かせ、
今日のところはアポも取らないまま寝ることにした。

Day40:2012年12月29日】海外での初歯医者。そしてオーストラリアへ

朝目覚め、同じブロックにある歯科医院に足を延ばした。

受付で、歯の詰め物が取れてしまったと説明すると、
受付の人が日本語の話せる看護師を呼んでくれた。

無事見てもらえるかと思ったが、
危惧した通り「予約で一杯」とのことで断られてしまった。

今日にはフライトがあるのでどうしても無理か、と頼み込んだところ、
一生懸命時間を作れないか考えてくれた、やはり無理との回答だった。

さて、困った。

宿に戻る。

こうなったらやむを得ない。昨日手が伸びなかった受話器を持ち上げる。
苦手意識の克服は大抵必要に迫られて起こるものだ。

「英語の勉強のいい機会だ」そう自分に言い聞かせながら、
調べていた他の歯科医院に電話を掛けた。

フライトが今日の午後なので午前中に診てもらうことは出来ないか、と尋ねると
「30分後なら大丈夫だ」と言う。

助かった。

急いで宿をチェックアウトし、歯科医院へと向かう。

歯科医院は、電車で一駅行った中環の綺麗なオフィスビルに入っていた。
待合室に入ると、日本の歯科医院と同じような雰囲気だった。
と言うより、日本語の漫画が置かれていたりまさに日本の歯科医院と同じだった。

IMGP1477.JPG

どうやら先生が日本語を話せることもあり、
日系企業の健保とも提携しているようだ。

しばし待つと中から名前を呼ばれた。

診察室も日本の歯科医院と変わらなかった。
そして先生は香港の人だがとても流暢な日本語で、海外初の歯医者と言う心配には及ばなかった。

取れた詰め物を詰め直し、ものの10分で治療は終わった。
数千円の予定外の出費は痛かったが、安心には変えられない。

昨日から少し肩に乗りかかっていた重荷がとれた気がした。

歯科医院を後にし、中環からバスで空港へと向かった。

結局、歯医者騒動で、
オーストラリアに着いてからの宿やレンタカーについて全く手配できていなかった。

年末のシドニー。ただでさえ高騰している中、宿は費用が嵩む。
現地の友人に相談したところ、早々にキャンパーバン借りるのがいいのでは、とのことだった。

空港からネットで予約を試みる。
しかし、うまくいかない。

ネットで即時決済できない上に、問い合わせると空きがなくなったとの返信が来た。
オーストラリアは夏休みに入っており、レンタカーも繁忙期の様だ。
結局、何社かにメールは打ったが予約のできないまま香港を後にすることになった。

何とかなるさ。
最悪、お金が余計にかかることは覚悟して、オーストラリアへと向かった。