365日旅日記。(キューバ編)

365日旅日記。(キューバ編:2013年6月18日-7月2日)

Day211:2013年6月18日】キューバ入国

アエロメヒコの飛行機はほぼ定刻通りハバナの空港に着いた。

誰かがハバナの空港は今まで見た中で一番汚いと評していたが、
別にそんなこともなく、普通の空港だった。

だが、アメリカとの国交を断絶しており、
米系の航空会社の影が全くないのは少し異様な感じがした。

お決まりの銀行や通信会社の広告もなければ、スタバなどのカフェもない。
どこか「世界」から取り残されてしまった気がする。

イミグレで入国手続きをする。係員が何か言っているが全く聞き取れない。
係員は書類に目を通している。自分は、ただ立って待っている。

間もなく、彼女は何か言いながら、元来た方を指さした。
どういうことか理解できないが、どうも入国が認められないらしい。

なんと。

一旦、係員の前を外すことにした。
僕の次に嫁がその係員の前に立った。

どういうことだろう。
どうしたものだろう。

呆然と立っていると、もう一人の係員が近寄ってきた。
いくつかの言葉の中で「Insurance」という言葉だけが聞き取れた。

そういえば、キューバの入国には保険の加入が義務付けられていると聞いていた。
「その書類を出していなかったから駄目だったのか!」と、
書類を準備して、意気揚々とネクストバッターズサークルに立った。

まさに今前で同じ係員から審査を受けている嫁の保険証券も自分が持っている。

と思った矢先、嫁は審査を終え、入国の扉を開け、ドアの向こうに消えて行った。

自分の番が来て先ほどの書類に保険証券を加えて出すと、
すぐにスタンプを押してくれ通してくれた。

何故に嫁は、保険証券がなくても通してもらえ、自分は出直しを命じられたのだろう。
納得がいかない現実を受け止め、無事、14ヵ国目のキューバに入国した。

空港で、キューバの通貨へ両替する。
手元に残っていたメキシコペソを、CUCに替え、更にCUCの一部をCUPに替えた。

キューバは、二重通貨制を採用しており、
観光客向けのCUCと現地民用のCUP(ペソクバーナ)という実に分かりにくい通貨制度を持っている。

空港はレートが悪いだろうと最低限の両替を終えた僕たちは、旧市街へと向かうことにした。

当初、僕は1,000円程度かけタクシーで旧市街に向かおうと考えていたが、
嫁は、「数円で行けるバスがあるけどどうする?」と誘惑してくる。

バスについて全く調べていなかったが、100分の1で行けるということで、
ローカルのバスに乗って旧市街まで目指してみることにした。

嫁が、カンクンの日本人宿で仕入れた情報をもとに動く。
「アエロメヒコの飛行機はターミナル2に着きます。」
「ターミナル2からバス停までは5分くらいです。」

さて、早速ターミナルを出てみる。
ターミナルの番号は書いてなかったが多分ここがターミナル2なのだろう。

そして、日本人宿で書き写した手書きの地図と道路を見比べる。
どうも、しっくり一致しない。
見えるはずの信号も見えない。

目の前にはキューバ名物のクラシックカーが通過していく。
しかし、プチ迷子になっており、楽しんでいる余裕もない。

道を見失いながらも、
先に読み込んでいたiPhoneの地図とGPSを頼りに大通りを目指すことにした。

歩いていると、「タクシー?」と半分以上の車に声をかけられる。
中には、デート中じゃないかと思われるカップルの車にまで声をかけられる。
車からわざわざ降りて、しつこく交渉しようとしてくる人もいる。
あわよくばお小遣いを稼ごうと思う人が多いらしい。

カンクンであった旅人が「中米のインドだ」と言っていたのが、なるほどと思えた。

しかし、参考までに値段を聞いても、こちらはローカルバスに乗る程度のお金しか持っていない。
タクシーに乗ることはできない。
もはや引き返すことも出来ず、ただローカルバスを探して歩いた。

30分ほど歩いて、もう少しで大通り、という頃、
目の前に、「TERMINAL2」と書かれた建物が見えてきた。

少し頭の中をよぎった通り、先ほどの建物はターミナル2ではなかったようだ。
改めて手書きの地図と見比べると、地図通りに信号もあった。

一安心。

バス停を目指して、あと5分の道を歩き始めた。

すると、ポツリ、ポツリ、と突然の雨。
瞬く間に、水が道路にあたって飛沫があたるくらいの強い雨となった。

どこかで雨宿りをしたいが、周りを見渡しても、雨避けは見当たらない。
やむを得ず前に進むと、バス停に着いた頃には水の滴るなんちゃらとやらになっていた。

バス停で待ってお目当てのバスに乗り込む。
乗車時に、運賃を支払おうとするが生憎細かいお金はなく、20CUP札を出した。
すると「お釣りはない。奥へ行け」と運転手にジェスチャーで言われた。

申し訳なくも結局はお金を払わずに旧市街地まで辿り着いた。

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友達が教えてくれた宿にチェックインし、やっとこさバックパックを降ろした。

まだ外は明るい。
荷物を部屋に置いたあと、旧市街を散策してみることにした。

まずは、両替所に行って軍資金を手に入れる。
空港のレートが悪いと言っていたが、手元にある日本円は空港と大差ないレートだった。
まとまったお金をCUCに替え、両替所を後にした。

スペイン植民地時代に作られた市街地は立派だった。
レストランやらCASAやらが至るところにある。

ただ、困ったことに、
二重通貨制の影響で、どっちの価格表示かわからないことがある。

飲物を買おうと入った商店はCUCとのこと
ちょっと立ち食いしようかと思った露店はCUPとのこと。

明記されてないことが殆どなので混乱極まりない。

CUPが使える店は旅行客にとってはとても割安だ。
コロッケやマンゴジュースが10円だったり、ピザが60円だったり。
これを使いこなせれば、大分経済的にキューバを旅できそうだ。

ちょっとした店で、
ピザとマンゴジュースを夕食代わりにつまんで宿に戻った。

CASAと呼ばれる民家の一室を貸し出したような宿は、
清潔感もあり、エアコンにホットシャワーも付いており快適な部屋だった。

前日の空港泊の疲れもあり、間もなく眠りについた。

Day212:2013年6月19日】ハバナ→トリニダーへ

朝、目が覚める。
試しに注文してみた1人3ドルだという朝食を食べる。

パン、卵、フルーツにジュース・コーヒーというどこの国でも見る朝食のスタイルだった。
民家の中を見ても特段他の国と違う、という何かはない。

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当たり前といえば当たり前なのだが、
キューバはもっと独自の文化・社会が発達しているのではないかと思っていただけに、
「普通だなぁ」という印象を持ってしまった。

チェックアウトをしようとすると、
宿の女主人に、「いつハバナに戻ってくるの?」と執拗に聞かれた。
どうも、次来た時も、ここに泊まってほしいという営業らしい。

確かに昨日散歩したとき街中で、
CASAの「部屋を貸します」という看板をものすごい数を見かけた。

数年前の規制緩和の結果、もの凄い競争なのだろう。

良い宿ではあったけど、
スケジュールに縛られるのも嫌だったのでやんわり誤魔化し宿を後にした。

タクシーでバスターミナルに向かい、トリニダー行きのバスチケットを買った。
約6時間で1人25CUCだと言う。
現地人はどのくらいの金額で行けるのだろうと気になりながらバスに乗り込んだ。

バスは休憩と途中の街へ経由しながらトリニダーへと向かう。

夕方、トリニダーについて、バスターミナルを出て驚いた。
突然、多くの人々に囲まれたのだ。

「1人5CUC、2人で10CUCでいいわ!」
10人位が全員同じことを口にしてくる。
手には、自分の宿の外観と内装を撮った写真付のボードを持っている人が多い。
みんな自分のボードをより僕たちの目の前へ目の前へと差し出してくる。
よって、あまりにボードが目に近すぎてよく見えない。
聞いてはいたが、みんな宿の勧誘なのだ。

全員が同時に、僕たち二人に別々に話しかけてくる。
もはや何を言っているかもわからないし、落ち着いて話を聞く余裕もない。
「中米のインド」どころか、本家インド以上のプレッシャーだ。

一度バスターミナルに避難し、嫁と作戦会議をした後、
日本語でボードを掲げていて、宿の設備がある程度分かり、かつ、
そこまで話を押してこなかった女性についていくことにした。

余りにも積極的なおばちゃんだと、滞在中も色々踏み込まれそうなので敬遠した。

1人に絞ると他の取り巻きの連中はさっといなくなった。
女性についていくと小奇麗な民家に到着し、2階の部屋へ案内された。

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扇風機、エアコン完備の快適そうな部屋だった。

僕たちが外食しに行くと言うと、ご丁寧にレストランまで案内してくれた。

レストランからキックバックを貰っているに違いないが、
宿で飯を食べろと言ってくる人が多い中で親切な対応だった。

外食の目的は、ロブスター。
なんと、1人7CUCでロブスター付のコースを食べることが出来るのだ。

友人から話は聞いており、
トリニダーに来たらぜひ足を運ぼうと思っていた「La Ceiba」。

コスメル島でもロブスター祭りで堪能した直後ではあったが、
キューバでのロブスターも最高だった!

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また、トリニダーのお酒だというカンチャンチャラにモヒートにと、
キューバならではのカクテルを頂いた。

飲食は旅の醍醐味だ。

これまでの南米・メキシコに比べ治安のよいキューバ。
店を出る頃には暗くなっていたが少しばかり散歩することにした。

マイヨール広場の周りには音楽を演奏している店があったり、
まだ、人が多く道に出ていた。

1CUCでカクテルを飲ませてくれるお店で、
キューバリバーとピナコラーダを頼んだ。

生ぬるい風に吹かれ飲むキューバのカクテル。
濃いラムがまた、美味しかった。

広場の周りをぐるりと一周し、宿に戻った。

Day213:2013年6月20日】アンクンビーチ

朝目が覚めると9時を過ぎていた。
結構、熟睡したようだ。

宿で朝食を頂く。
この宿でもハバナと同様に、
パン、卵、フルーツにジュース・コーヒーという組み合わせだった。

今日もとてもいい天気だ。
昨晩浴びそこなったシャワーを浴びた後、ぶらり散歩に繰り出した。

歩いてみると、昨日バスターミナルを出た後囲まれたのにも納得がいった。
あちらこちらに「CASA」があるのだ。
2軒に1軒は過言かもしれないが、1ブロックに3-4軒はある。
これでは明らかにベッド数が余剰だ。

今後この国でどう社会主義が維持され、
一方で観光業が盛り上がり格差が付いていくのか興味津々な反面、不安になった。

少し街を歩いた僕たちはビーチを目指すことにした。

バスで1人往復2CUCで行けるという。
しかし、街中のタクシーの運転手に聞くと、今バスは走ってない。という。
ホントか怪しいところだが、タクシーでも往復10CUCということだし、
動き出しが遅かったこともありもう昼過ぎになっていたので、タクシーで向かうことにした。

乗ったタクシーは見事なクラシックカー。
乗り心地が凄い良いものではないが、
外から見るよりクラシックカーの中から見る景色の方が趣があるように感じられた。

クラシックカーに揺られること40分程経った頃、ビーチに到着した。

観光化されたビーチだと聞いてはいたが、
これまで見てきた海の中でも指折り数えられる綺麗なビーチだった。

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目の前に広がるカリブ海。

こんなキレイな海を、
カストロやゲバラはどんな気持ちでグランマ号に乗ってキューバまでやってきたんだろう。

ココナッツジュースにラムを入れた飲物をビーチで買って飲みながら、
砂浜で2人のんびりボーっと海を眺めて過ごした。

2時間程砂浜にいた後、乗ってきたタクシーに乗ってトリニダーの街へ戻る。
強い陽射しの中、少し散歩してから、疲れて宿に戻った。

この日は宿で夕食を頂こうと、ゆったりしていると、
頼んだカンチャンチャラを宿の人が持ってきてくれた。

トリニダー名物。昨日も飲んだカンチャンチャラ。
ラムに、蜂蜜・水・レモン・氷を入れたお酒だ。
よくよく考えるとラムをはちみつレモンで割ったのと同じ味だと気付く。
結構美味しい。これは日本でも再現しやすそうなカクテルだ。

その後、夕食を宿で頂いたのちのんびりと過ごした。

宿での夕食は可もなく不可もなくという味だった。
1人5CUCという料金であれば妥当な味だろう。

寝る前に、干しておいた洗濯物を中に取り込もうとした嫁が、
外に出て突然驚いた声をあげた。

干しておいた洗濯物が消えたらしい。

誰かが盗ったのか、宿の人が取りこんでくれたのか。

しかし、今騒ぎ立ててもしょうがない。
訝しげな嫁を横目に眠りについた。

Day214:2013年6月21日】サンチアゴ・デ・クーバへ

8時のバスで次の目的地に向かうべく、6時過ぎには目を覚ました。

朝食を用意してもらうべく宿の人を呼びかけると、
昨日消えた洗濯物を持って現れた。
風に飛ばないようにと中にいれてくれていたらしい。

7時半には宿を出なくてはいけないのに、朝食が出てきたのは7時20分。
急いで朝食を口に入れながら会計をお願いする。

会計を見ると、当初1人5CUCだと言っていた夕食が、
7CUCと6CUCで付けられていた。

「魚にする?チキンにする?エビにする?」と尋ねられたが、
どうもメニューによって値段が違ったようだ。

すべて5CUCだと思っていたのだが、やむを得ない。
時間もないし、宿の人も感じのいい人だったので、
そのまま会計を済ませチェックアウトした。

8時発のバスチケットを買いバスに乗り込む。
目的地のサンチアゴ・デ・クーバまでは12時間かかる。

40時間のバス旅を経験した僕たちからすれば大したバス旅ではなかった。
エアコンがかかり過ぎている以外は、
道路も綺麗で至って快適なバスの旅だ。

途中、いくつかの街に立ち寄りながらバスは進んでいく。
十分に睡眠はとっているのだが、
いつでもどこでも寝れる特性を活かし、風景を眺めたり寝てたりするうちに、
あっという間にサンチアゴ・デ・クーバに到着した。

時計を見ると21時を指している。

バス停に着くと、「SASAKI」と紙を掲げた人が待っていてくれていた。

トリニダーの宿の人が「まだ宿が決まってないなら連絡しておくわ」と言うので、
到着が夜になることもあり、お願いしておいたのだ。

念のため、「一泊いくら?」と聞くと、
その男性は「俺はタクシー運転手で宿に連れて行くだけだ」と言う。

タクシーの値段もわからないが、やむを得ず言われるままに付いていくことにした。

クラシックカーで15分程走るとセントロにあるという宿に到着した。
宿の料金は、トリニダーの人と話した通り、1人5CUCだった。
そこで、タクシー代5CUCも請求される。やむをえまい。

朝食べて以来、何も食べていなかったので、宿で夕食をお願いし食べることにした。
お腹いっぱいいなったところで横になり、「チェ28歳の革命」を見ることにした。

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あれだけバスの中で寝たにも関わらず、
1時間も経たないうちに2人とも眠くなってしまい途中で寝てしまった。

Day215:2013年6月22日】サンチアゴ・デ・クーバ散策

昨日のバスの中でも半分以上寝て、
夜も早々に寝たのに、朝起きると10時を過ぎていた。

なんだかんだで重い荷物を抱えながらのバス移動は体力を消耗するようだ。

外に出ると天気は快晴。
真夏が近付くキューバの陽射しは相当強い。

準備をして、街の中を散策してみることにした。
宿から4ブロック程歩くとサンチアゴ・デ・クーバの中心地セスペデス広場に出た。

現地通貨ペソクバーナで食べれる海鮮料理のお店があるというので、
遅めのブランチと言うよりむしろ昼食をとるべくそのお店を目指すことにした。

途中、現地通貨を補充すべく両替所に向かった。
メキシコペソはそこまで変わらなかったが、日本円の両替レートはハバナより悪い。

どうして通貨によってそのような差が生じているのかはわからなかったが、
手元の現金もハバナまで持ちそうにもなかったため、ここで両替することにした。

両替を待っていると後ろを通り過ぎる両替所のおばちゃんが「Viva Japon!」と声をかけてくれた。
「グラシャス!」こちらの心も明るくなる。
キューバの人って、
なんだか南米やメキシコの人に比べると愛想にかけるなと思っていたが、そんなこともない。
そういえば、先ほど広場でも「Japon?Baseball No1!!」と声をかけてくる人がいた。

ちょっとした一言がその国の印象をがらりと変えるということを改めて感じた。

ある程度まとまった額をCUCにして両替した上で、また再度一部をペソクバーナにしてもらう。
ちなみに、これまで街中でのお釣りではお目にかかれなかったが、
ペソクバーナは3ペソ札にゲバラが描かれているという。
そのお札を是非手にしたくて、「トレース(3)、ゲバラ」と単語で伝えると、
快く3ペソ札を混ぜて再両替してくれた。

ゲバラの描かれた3ペソ札を手にした。しかもピン札。しかも6枚。

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なんだか、今日もいい日だ。

12時過ぎにお目当ての海鮮料理のお店に到着したが、入り口は鍵がかかり閉まっている。
今日は土曜日。
休業日だったかと思うと、店の横にいた人が「12時に開くよ」と教えてくれた。

「もう12時過ぎてるのだけど…?」と聞くと、
店の中と掛け合ってくれたようで、中から人が出てきた。

「1時には開くわ」

この国にはランチタイムとかあまり気にしないのだろうかと思いながら、
1時まで時間を潰すことにした。

喉が渇いたので、飲物を売ってる場所がないかと、
人が賑わっている露店の方に向かってみる。

一番手前の露店では、アイスが売っていた。
1つ2ペソクバーナ(8円)程。
安さに思わず、1つ手を出してみる。チョコレート味で美味しい。

道路を挟んだ向かいにもいくつか露店が並んでいた。
よくよく見ると、全てがアイスの露店だった。
そして、全ての露店に人が群がっている。
ボールを持って並んでいる、人もたくさんいる。

キューバの人はアイスがホントに好きらしい。

木陰に腰を下ろし、そんな露店の様子を眺め時間を潰した後、
再度、海鮮料理のお店に向かった。

今度は、扉も開いており、すんなりと入ることが出来た。

ロブスターが200円かからずに食べれると聞いていたが、
生憎ロブスターは品切れの様で、魚とエビの料理を注文した。

ペソクバーナで食べれるとあって、1品100円~200円程度と格安。
味も結構美味しかった。

1つと注文したものが2つ出てきたり、
会計をお願いすると180CUPなのに230CUPと言ってきたりと、接客面での酷さが目についたが、
缶ビールもグラスワインも飲んで750円程度と考えると、とても贅沢な昼食だった。

昼食を終えた僕たちは7月26日モンカダ兵営博物館へと向かった。
カストロがバティスタ政権を追放して、現在のキューバがあるのだが、
「7月26日」はカストロがバティスタ政権下のモンカダ兵営を襲撃して失敗した日である。
失敗し、カストロは一時捕まり収監されたのだが、
この襲撃こそがのちのキューバ革命に向けての大きな契機となったと言われている。

博物館の入口に残された弾痕は、生々しいものだった。

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博物館を一通り見終え外に出る。
相変わらず、キューバの陽射しは凄まじい。

続いて、バカルディ博物館へと足を運んだ。

日本でも有名なお酒「バカルディ」。
今はプエルト・リコのお酒だが、革命前はキューバのラムだったということを初めて知った。
革命後、ラムをつくっていたバカルディ一族はプエルト・リコに亡命。
キューバのラムは、ハバナ・クラブと名前が変わったようだ。

すっかり「バカルディ」と付くからお酒の博物館だと思っていたのだが、
実際は、バカルディ一族の邸宅を残した、歴史や芸術の博物館。

お酒を飲めるのでは、くらいの気分で足を運んだ僕たちは、
ざっと一周見て回った後、何とも気持ちを満たせないまま博物館を後にした。

さて、次にどこに行こうと考えるが、如何せん暑い。

海を目指して歩き始めては見たものの、
海辺が遠い、海辺に行っても何もなさそう、陽射しが強いの3拍子揃って
結局すぐに引き返すことにした。

商店で、ラムとコーラを買って宿に戻る。

サンチアゴ・デ・クーバのラムとキューバのコーラ。
これぞ、本当のクーバ・リブレで2人乾杯し、
部屋でのんびりとその後の時間を過ごすことにした。

クーバ・リブレ片手に昨日の「チェ28歳の革命」へのリベンジを試みる。
歴史が分かると旅がまた楽しい。
まさに今日見たモンカダ兵営の7月26日の話が出てきたりと、歴史と現実がシンクロする。

1959年1月1日。「お前何歳だ」と問われ、チェが答える「30歳だ」
ちょうど30歳の時にこの映画を見るとはこれも何かの縁だ。

Day216:2013年6月23日】モロ要塞観光

朝起きて、宿で朝食を頂く。
ハバナ、トリニダーと同様、パン、卵、フルーツにジュース・コーヒーの組合せだった。
朝からフルーツが食べられるというのは嬉しい。

宿の女主人に、次の目的地バラコアまでのバスの時間を尋ねる。
すると、朝7時半の1本だけだという回答が返ってきた。
早い。
明日は、早朝から動く必要があるようで、
サンチアゴ・デ・クーバを見るのは今日が最後になりそうだ。

サンチアゴ・デ・クーバはハバナ第二の大都市だが、
地球の歩き方曰く、見どころは旧市街に集まっているようで、
その大部分は昨日の散歩で見た場所だった。

最後にどこを見よう。

まずは、昨日見れなかったカーニバル博物館へと足を運んでみる。
一日に一度イベントが行われるようだが、
日曜日の今日は既に終わっていて見ることが出来なかった。

これまでのカーニバルに使われた衣装などが展示されているが、
仮装大会の衣装なようなものが多く、すぐに見終わってしまった。

続いて、地球の歩き方を見て気になったモロ要塞へと向かう。
市街地から離れているためタクシーを使わなくてはならない。

客引きの声に足を止め交渉に入る。
「12でどうだ?」
地球の歩き方には「相場は10CUC-15CUC」と書かれているので悪い数字ではない。
ただせっかくなので交渉を楽しもうと、
手持ちのお金を見せ、「11.25ならピッタリ払えるんだけど?」と伝えると、
笑いながら「OK、11.25で行こう!」と了解してくれた。

別に10でも12でも15でも構わないのだけど、せっかくなら気持ちよくお金を払いたい。
交渉の中で相手の人の良さが感じられると、旅はぐっと楽しくなる。

クラシックカーに乗り、モロ要塞へと向かう。
客引きが運転手だと思っていたら、助手席に乗り込み、運転手は別の人だった。
車のミラーには星条旗がかかっている。
別に個人としてはアメリカの事を悪く思っていないのだろうということが感じられた。

この客引きも、日本から来たと言うと、「Baseball Only1!」と言ってきた。
きっと「No1」と言いたかったのだろう。WBC優勝の持つ意味をキューバで感じた。

モロ要塞に着くとそこには青いカリブ海が広がっていた。
「この海の向こうにはJamaicaがある」客引きの彼が教えてくれた。

タクシーを降り、モロ要塞を観光しようと歩き出すと、
客引きの男性は先頭を切って歩き出す。
お土産屋さんやそこらへんにたむろっているキューバ人とも挨拶を交わしている。

「このレストランには、昔ポールマッカートニーが来たんだ。」
「高いけど、いい眺めだし、美味しいよ。」

ガイドさながらに、彼は説明をしながら進んでいく。

彼は誰なんだ。

入口で2人分の入場料8CUCを払うため、10CUC札を渡し2CUCのお釣りをもらった。

客引きの彼はお金も支払わずに中に入っていく。
「さぁこい!」

最初はただのタクシーの運ちゃんかと思っていたら、
本当にガイドをしてくれるようだ。何者かは依然謎なのだが。

イグアナにパンくずをあげたり、
途中で突如マンゴーをバックから取り出して切ってくれたりしながら、
彼は、モロ要塞をガイドしてくれた。

お蔭で楽しいモロ要塞観光となった。

サンチアゴ・デ・クーバに来てから、
モンカダ兵営こそは歴史の現場を目撃でき来た甲斐あったと感じたが、
バガルディ博物館もカーニバル博物館も期待にそぐわない所だった。

街中を歩いていても、そこまでこれと言って面白いことにも出逢えなかった。

でも、このモロ要塞を見たことで、
これからサンチアゴ・デ・クーバに行く人がいたら真っ先にここを勧めるだろう。

まず、カリブ海の景色が絶景だ。
加えて、カリブの海賊とここでやりあっていたという歴史にとてもロマンを感じる。
さらに、モロ要塞の建築自体がなんだかとてもワクワクするのだ。

なんというか大人の秘密基地と言う感じがする。
構造も迷路のようになっているが、それが面白い。
要塞と言うことで窓は小さいのだが、風通しがよく快適なのだ。

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海辺にこんな建物立てて、仲間と一緒に生活したら楽しいだろうな、と思った。
仲間と同じ場所に住み、生活を共にする。僕の一つの夢だ。

1時間程、客引きの謎のおっちゃんに案内してもらいモロ要塞を見て回ったのち、
行きに乗ってきたタクシーに乗って、旧市街地まで戻ってきた。

タクシーを降りお別れのとき、
約束の11.25CUCに加えお釣りでもらった2CUCもチップとして一緒に支払った。
何とも面白いおっちゃんだった。

念のため添えておくと、おっちゃんを差し引いても、
モロ要塞はサンチアゴ・デ・クーバの中で行く価値のある場所だと思っている。

市街地を歩いてみると、
今日は日曜日と言うこともあって多くの店が午前中で閉じており、少し閑散としていた。

夕食は宿で食べることにしていたため、
少し早いが宿に戻ってのんびり過ごすことにした。

昨日残したラムを飲みながらのんびり過ごすひと時もまた最高だった。

Day217:2013年6月24日】最東端の街バラコアへ

朝お支払いを済ませると、
宿の女主人に「バラコアでの宿は決まってるの?」と尋ねられた。

「決まってないよ」と正直に伝えると、
「紹介するわ。バスターミナルで名前を持って待っているよう伝えておくから」と言われた。
トリニダー価格で、サンチアゴ・デ・クーバの宿同様1人5CUC(500円)でいいと言う。

トリニダーのアニータの紹介で来たサンチアゴ・デ・クーバの宿も安かったし、快適だったし、
同じ親族が経営しているということで、無難だろうと思い、お願いすることにした。

なにより、あの客引きに囲まれてどうしようもない状況になるのも避けたかった。

迎えに来てくれたタクシーに乗り込み、バスターミナルへと向かう。
バスターミナル前ではバス客を奪おうとするタクシー運転手の客引きがたくさんいた。

チケット売り場で1人15CUCのチケットを買い、バスに乗り込む。
バラコア行のバスは7:45発だった。

バスの中はたまに起きては車窓一杯の大自然を眺めながら基本的には爆睡していたら、
昼過ぎにはバラコアに到着した。

キューバのバスは、出発時間はあてになるが、到着時間は大抵1時間くらいずれるようだ。

カリブ海を目の前に臨むバスターミナルにはまたも大勢の客引きが来ていた。

その中で「SASAKE」と掲げた紙を持っている人がいる。
たぶん間違いなく僕たちを待ってくれているのだろうけど、若干惜しい。

迎えに来てくれた主人の言われるまま、自転車タクシーに乗り宿へと向かった。

一般家屋の屋上にある客室に紹介された。中々に快適そうだった。
現地人の紹介だと、変なとこ連れて行かれるのでは、とか、ぼられるのでは、とか、
少し警戒する部分もあるのだけど、CUBAに来てからあまり外したことはない。
まだCUBAは観光に対してあまり擦れてないというのもあるのかもしれない。

2泊することとと、1人5CUCの夕食、3CUCの朝食も別途お願いして
荷物を部屋に置いたのち、街を散策することにした。

1492年にあのコロンブスも辿り着き、7日間滞在したというバラコアの地。
コロンブスが立てたという十字架があると言うので、
見に行ってみると教会は閉まっていて入れなかった。

バラコアはそこまで大きな街ではない。

ただ、気になっていた場所が何ヵ所かあった。

一つは、ユンケと言うテーブルマウンテン。
もう一つは、マグワナ・ビーチだった。
あとは世界遺産だというフンボルト国立公園も少し頭に引っかかっていた。

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バラコアに来たからには、
テーブルマウンテンのユンケ頂上から、カリブ海の全景を見渡したいと思っていた。
かのコロンブスが「世界最大の美」と称したとされるバラコアを高台から一望したかった。

また、マグワナは、ここを楽しむだけにバラコアにやってくる観光客もいるほどだという。
そんなビーチがどんなものか一目見てみたかったのだ。

どちらも少しバラコアの街からは離れていた。

明日丸一日時間あるときにどこに行こうと悩みながら、
いくつかの旅行代理店を覗いて話を聞くことにした。

聞くと、両方ともバラコアの観光のシンボルだけに、各社ともツアーを扱っていた。
加えて、フンボルト国立公園のツアーにはマグワナビーチもついてくるとのことだった。

「どちらがお勧めか」と聞くと、ある担当者はフンボルトが自然に溢れ素晴らしいと言う。
他の担当者は、テーブルマウンテンからの眺めは素晴らしいと言う。

料金は、どの店もユンケのツアーが16CUC、フンボルトのツアーが23CUCだった。

聞けば聞くほどどっちも捨てがたくなってきた。
しかし、2泊の宿泊だと明後日の昼には出発しなくてはならず、どちらかしか選べない。

せっかくキューバの東端に来ておきながらどちらもかを諦めるというのも勿体ない。

新しいキューバのラムとコーラを仕入れつつ宿に戻り、
宿に置いてあった財布から現金を補充し、再度街に繰り出した。

結局、その後の予定を調整することにし、
明日ユンケ、明後日フンボルトのツアーに申し込むことにした。

その晩、宿で夕食を頂きながら、2泊から3泊への延泊を申し出た。

急なツアー料金の出費は、1日の予算から見れば大きいが、
日本からの往復を考えると数十万もかかる場所で、今更+1万円の出費をけちってもしょうがない。
日本に帰ってから稼げばいいだけの話。今はこの旅を楽しもう。

屋上のテラスは風通しがよく、今日のラムコークも美味しかった。

Day218:2013年6月25日】テーブルマウンテンを目指してトレッキング

トレッキングツアーに出かけるため、朝7時半に朝食を用意してもらった。
トリニダー、サンチアゴ・デ・クーバと違い、朝食にチョコレートラテが付いてきた。
バラコアはカカオが特産だという。
CASAで朝食をお願いすると、こういう地のモノが出てくるというのが嬉しい。

ツアーの集合前に、両替所により、底を突きそうな現地通貨CUPを補充した。
両替のレート表を参考までに見てみたら日本円はバラコアでは両替不可だった。切ない。

9時集合でツアーは出発した。
メンバーは、オランダ人カップルと僕たち2人とガイドの計5人。

車で数キロ離れた入口まで向かい、そこからテーブルマウンテンの頂上を目指して歩く。
思えば、トレッキングはマチュピチュ以来だ。靴を履くのでさえ久しぶりだった。

開始早々、靴を脱いで川を渡る。
中々に自然味溢れたトレッキングだ。

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バナナやカカオ、ヤシの木に囲まれた山の中をどんどんと登っていく。
バラコアは雨が多いこともあり、足元はぬかるんでいる。
そこまで急な上り坂ではないが、歩きづらかった。

途中休憩を挟みつつ、尋常じゃない汗をかきながらも2時間程で頂上に到達した。

「世界最大の美」とはどんなものかと思ったが、雲が空を覆っていたこともあり、
バラコアとその奥のカリブ海の風景は凄い感動するというほどでもなかった。

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天気が良ければ、もっといい景色だったのだろう。

そもそも、コロンブスもバラコアを「世界最大の美」と称しているようだが、
ユンケも含めた海側からの景色のことを言ったのかもしれないなと思った。

東京タワーからの景色もきれいだが、
東京タワーを外から眺める方がより素敵だったりするように。

加えて、頂上の観光客が入れる場所の狭さに驚いた。
テーブルマウンテンと言うからには頂上はもの凄く広い大地を想像していたが、
実際には人が5人もいれば結構な密度を感じる狭いスペースだった。

テーブルマウンテンとはいえ起伏があり、
奥は木に覆われていて、立ち入ることは出来ない。

頂上でしばし休憩した後、来た道を引き返した。

登りもぬかるんでいて歩きづらかったが、帰りはさらに滑る。
日本で綺麗に洗ってきた靴は速攻で泥まみれになりながら、ほぼスタート地点の川沿いに戻ってきた。

ツアーには、川泳ぎが付いているという。
来た時と同様、靴を脱いで川を渡り終えたとこでガイドは靴を履いて歩く準備をしている。
どこで泳ぐのだろう、と思っていると、オランダ人の女性が話しかけてきた。

「ツアー外なのだけどこの上流に滝があるんですって。そこで泳ぐようだけどどうする?」
この時、嫁は追加で4ペソかかると言うことも聞こえたようだが、僕は聞き取れなかった。
第一泳ぐことは僕たちのツアーに含まれていると思っていたので、追加料金なんて毛頭頭になかった。

泳ぐつもりで来ていた僕たちは付いていくことにした。
更に30分弱歩いただろうか。
上流の川縁について、さぁここで泳ごうと言うことになった。

川の水はキレイで、温度もちょうどよくて、トレッキングの汗をさっぱり流すことが出来た。
脇にあった滝の方に少し沢登りをしたり、と1時間弱そこで遊んでから僕たちは引き返した。

スタート地点付近まで戻ってくると、ガイドが金を要求してくる。
オランダ人はいくらかのお金を払っている。

僕はすっかりチップの事だと考えていた。
幾ばくかのチップを払うと、「アディショナルだ」と言ってさらにお金を請求してくる。
やはり1人4ペソの追加料金がかかるというのだ。

オランダ人の女性からの説明を聞き落したのと、その場で確認しなかったことに落ち度はある。
けど、ガイドからは何の説明もなかったし、
他のツアー客は追加料金がかかっても自分たちはツアーの中に含まれているものだと思っていた。
そもそもツアーに付属している川遊びはどこいったんだ。

ガイドは、滝での川遊びは別料金なのだというばかり。付属している川遊びは別だと言う。
それこそツアーに付属していた川遊びはどこにいったんだろう。

オランダ人カップルを待たせているし、埒が明かないので、
後で旅行会社に話をすることにし、その場では、2人分の8ペソを支払った。

帰りの車の中、
オランダ人女性がせっかく説明してくれたのに
聞き取れなかった英語力のなさに情けなくなりながら、
どうしてこんなことになってしまったんだろう、旅行会社とどういう話をしよう、
とあれこれ考えた。

結局、街に戻って旅行会社を訪ね、
「トレッキングはとても良かったけど、追加料金を払わされたのは不快だった」
と正直に伝えた。

旅行会社の人からは、
「滝に行ったのか?滝に行ったのなら追加料金が発生する」と当然のように言われた。

「滝に行ったら追加料金が発生する」と言うのは今なら理解できるが、
直接の説明が全くない中で、ツアーに含まれた川遊びもしないまま向かったら、
それがツアーに含まれた川遊びだと誤解してしまう、というものだ。

つたない英語で感情的になってしまいながらも、
そうやって追加料金を取るのはフェアじゃないと伝えた。

お金は戻ってこなくても、
今後説明をしっかりするなり、せめて次に活かしてもらえればなと思った。

トレッキングエリアの責任者が不在と言うことだが、連絡を取ってくれるということで、
また後で訪問することにし、旅行代理店を後にした。

翌日のフンボルト国立公園の申込もまだできていない。

閉店間際に再度旅行代理店に出直すと、
責任者と話をして、追加で支払ったお金は戻してくれるとのことだった。
その場で翌日のフンボルト国立公園の申込を終え、宿に戻った。

久々のトレッキングでいい汗をかいて、
きれいな川で遊んでさっぱりして、とても最高な一日だった。

だけど、少し後味を悪くしてしまった。
800円くらい、黙って支払って、自分たちの中で留めておけばよかったかな。小っちゃいな俺。
コミュニケーションって難しい。今日の事は今日の事で教訓にしつつも忘れよう。
嫁は嫁でお金が戻ってくると満足してるし、まいっか。

宿に戻ると、隣の家の人がカタカナで自分の名前を書いて欲しいとお願いしてくる。

昨日、嫁が宿の小さい子の名前を書いてあげたのを聞きつけたらしい。
嫁が紙と筆を持って隣家に乗り込んでいくとたちまちに人気者となった。

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僕は影で折り紙を少しだけ折って渡してあげた。
CASAに泊まってるとこうした現地の人との交流も楽しい。

夕飯には女主人ご自慢のココナッツを使った魚料理が出てきた。
これは、キューバで食べた中で一番美味しい料理だった。

すっかりトレッキングでくたくたになりながらも、今日も楽しく一日を締めくくることが出来た。

Day219:2013年6月26日】フンボルト国立公園ツアー

朝目覚め、部屋を出るとテラスが濡れていた。
夜のうちに雨が降ったらしい。
空を見上げると今にも雨が降って来そうなどんよりとした曇り空だ。

朝食を食べた後、準備をしていると、再び小雨が降ってきた。
国立公園を散策するというのに、何とも残念な天気だ。

雨が止んだ隙をついて、待ち合わせ場所の旅行代理店に向かった。

旅行代理店に着く直前に、強い雨が降り出した。
慌てて旅行代理店のオフィスに駆け込む。

旅行代理店のスタッフは、「このような天気だし中止もあり得る」ということを匂わせていた。
靴を脱いで川を渡っていくような行程もある中で増水すると危険なようだ。

「今日の天気はどうなの?」と尋ねると、「基本的にはずっと雨だろう」と言う。
ただ、あと30分、1時間待てば止む可能性もあるから様子を見よう、と言うことになった。

間もなくずぶ濡れになりながら1組の親子が入ってきた。
その親子も、フンボルト国立公園のツアーに参加するようだ。

しばし待っていると、地面を打ち付け跳ね上がるほど強かった雨はあがった。
晴れ男。やっぱ持っている。

もう1組の親子を加え、3組でフンボルト国立公園へと向かった。
綺麗に舗装されている道も途中まで、
途中からは穴だらけでガタガタの道を1時間程車で進んだ。

カリブ海沿いに広がる600平方㎞にも渡る国立公園。
世界最小のカエルや世界最小のハチドリが生息していたり、
生物の多様性や自然の豊かさが認められ、2001年にユネスコ世界自然遺産に登録されている。

到着すると、早速この地域にしかいないというカタツムリ「ボリミータ」が出迎えてくれた。
「キレイ」と言うわけではないが、少し心躍る。

エントランスからまた少し移動した場所からトレッキングを開始した。
雨の影響で昨日のようにぬかるんでいるかと思ったが、それほどでもなかった。

山の中をガイドに続きすすんでいくと、今度はハチドリに出くわした。
せわしなく飛んでいるハチドリをカメラに収めることは出来なかったが、
自然一杯の中のトレッキングに癒された。

トレッキングは、川を濡れながら渡ったりと結構ワイルドに進んでいく。
小さい子どもを背中に背負いながら歩いているお父さんは大変だ。

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途中、休憩がてらみんな川で泳いで遊んでいると現地の人がカエルを捕まえたと言って連れてきた。
覗き込むとホント小さいカエルが彼の掌にちょこんとくっついていた。
確かに世界最小と言うだけのことはある。

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でも「世界最大」と比べてどうしても「世界最小」と言うのはインパクトに欠ける面は否めない。
そんなコンパクトさも好きなんだけど。

休憩の終わりにガイドが、
パッションフルーツやグアバなどのフルーツをくれた。
こういう心配りは本当に嬉しい。

その後も、これはキューバのコーヒーだとか説明を受けながら、
何本かの川を濡れながら先に進み、2時前に出発地点に戻ってきた。

ツアーで一緒だった親子もとても感じのいい人達で、
生物や植物にスゴイ興味があるわけではなかったが、とても楽しい時間だった。

帰り道に、もう一つバラコアで見ておきたかった、マグワナ・ビーチに立ち寄る。
立ち寄ったビーチは、中でもプライベート感あふれるビーチだった。

白い砂浜、青い海に、若干細切れの流木が漂っていて、
感動するほどの綺麗さではないが、ビーチにあるヤシの木はとても絵になる。
このためだけにバラコアに来る人がいるというのも理解できるマグワナ・ビーチだった。

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そのビーチで1時間程、楽しんだのち、街へと戻った。
ガイドにチップを払い、この日は気持ちよくみんなとお別れした。

天気も結局、ツアーの最後まで持った。途中は青空が見れるほどだった。

1日中カラッとした日はなかったし、基本は重い雲がのしかかったバラコアだったが、
ツアー尽くめはそれはそれで充実した滞在だった。

明日は、サンチアゴ・デ・クーバに戻り、その後夜行でサンタクララまで。
長い移動になりそうだ。

Day220:2013年6月27日】ばいばいバラコア

前の2日間と違い、この日は朝からツアーもない。
朝起きる時間も気にせずに寝ていたら、
宿の人が朝食はいつも通りの7時半に用意してくれていた。

外に出ると、ここ数日で一番暑い朝だった。
山には雲がかかっているが、海側は気持ちのいい青空だ。

朝食を食べてから、荷物をまとめる。

バスは14時過ぎだったので、宿は13時に出る予定だったが、
次のお客様がいるようで部屋は10時前に明け渡した。

何をするでもなかったが、
街を歩いていて気になっていたモノを手に入れられないか、探してみることにした。

キューバの表札に何気なく付いているヤシの木のマーク。
それが、とってもキューバっぽくて「あれならお土産に欲しいね」と話していたのだ。

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早速、宿の人に尋ねてみる。
首をかしげながらも、「もしかしたら歯医者の向かいの店にあるかも知れない」と言う。
そもそも歯医者の場所も分からないが、
「あっちの方に10分ほど」と言う頼りない情報をもとにとりあえず歩いてみる。

暫くすると、宿と隣家の若者たちが様子を見に追いかけてきてくれたようで、
途中からはその若者たちについていくことにした。

辿り着いた場所にて若者たちが尋ねてくれるが、そこには置いていないようだった。
縁がなかったということでやむを得ない。
宿と隣家の若者たちがわざわざ来てくれたことが嬉しかった。
途中でお礼を言って別れ、最後に少し街を散策した。

宿に戻ると、若者たちが折り紙を最後に教えてくれとやってきた。

見ると、
昨日あげた折り紙を元に、
普通の紙をハサミで切って試行錯誤している様子が伺えた。
何とも嬉しいことだ。

そこから出発までの間、鶴と12面体の折り方を教えてあげた。
最後に、折り紙も練習用にプレゼントした。
「キューバの最東端の街でいずれ折り紙が流行る」なんてことがあったら面白い。

13時過ぎに、バスターミナルに向かうため、宿を後にした。

少し早く着きすぎたバスターミナルの外に出て、バラコアの風景を眺める。
ユンケの山には重い雲が相変わらずかかっている。
サンチアゴ・デ・クーバから来たバスから旅人が降りてくる。
旅人に、宿の勧誘や自転車タクシーの客引きた群がる。
この街では、これからもこうした光景が続いていくのだろう。

予定より長くいたバラコアもまた素敵な街だった。

14時過ぎのバスで、僕たちはサンチアゴ・デ・クーバへと向かった。
道中、たまに海が見えると、カリブ海とヤシの木の風景が何とも素敵だった。

いつも通り、基本寝てバスの中を過ごしていると、
気が付くとサンチアゴ・デ・クーバに着いていった。
窓の外は雨がしとしとと降っていた。

今日は、もうひと踏ん張り移動しなくてはならない。

着いたばかりのバスターミナルで再びバスチケット売り場に並ぶ。
売り場に人がおらず、少し待てと言われ、待つことにした。
するとバスターミナルの外から、「タクシー?サンタクララ?」と勧誘を受ける。
聞くと「大体半額で連れて行くよ」と言っている。
半額は魅力的だったが、ここからサンタクララまでは12時間の夜行の長旅だ。
タクシーの狭い空間はちょっと疲れるので遠慮することにして、バスチケットを購入する。

20時過ぎのバスに乗りこむ。到着は明日の朝7時30分。
出発して、寝ようと頑張るが、不思議なことに頑張ると寝れない。
夜の車窓の風景を眺めていると、
ふと無性にキャンプファイヤーとかやりたい気分になってくる。

ただ単に車内に流れてた、音楽のPVのキャンプファイヤーの風景を見たからだけなのだけど、
みんなで集まってキャンプファイヤーとかしたら楽しいだろうな、と妄想は膨らむ。

そうこうしているうちに、いつしか眠りについていた。
それにしてもキューバのバスの車内はとても寒い。
念のためダウンを持って車内にいるのだけど無防備な水着のみの下半身に冷房が直撃する。

ちょこちょこ夜中に目を覚ましつつ、バスはサンタ・クララへと向かっていった。

Day221:2013年6月28日】常に勝利を目指す街からキューバ有数のリゾートへ

朝7時半、定刻通りにバスはサンタ・クララに到着した。
今回初めての途中下車でびくびくしていたのだが、定刻通りで正直安心した。

サンタ・クララは、「観光は2時間あれば十分」「泊まる必要はない街」と言う話を聞く。

それでも、別に他人は他人、自分は自分でしょと思っていたので当初は一泊する予定だった。
「チェ28歳の革命」を見て、僕たちの中でサンタ・クララは興味深い場所となっていた。
しかし、予定外でバラコアが一泊延びた。

さて、どうしよう。

「降り立った時の気分で決めよう」これが昨日嫁と打ち合わせた際の決断だった。

バスターミナルに降り立ち、ベンチに腰を下ろす。
さぁ、どうする。
今の時間は朝の8時。ここから、次の目的地バラデロまでは3時間程。

バラデロでは、久々に贅沢をしてホテルに泊まる予定だ。
しかも、バラデロはキューバの誇るリゾート地と言うこともあって、
殆どのホテルがオールインクルーシブと言う食べ放題・飲み放題の料金設定なのだ。
となると、せっかく行くのなら早い時間にチェックインしたい。

幸い、バスターミナルに着く直前に、一つの目的だったゲバラ像が車窓から見えた。
そう遠くはない。
もう一つ見たかった場所があったが、そこも遠くはないだろう。

決めた。今日中に、サンタ・クララを出てバラデロに向かおう。

バラデロ行のバスは、先ほど乗ってきたバスと夕方の2本しかなかったが、
タクシーを捕まえても、そこまで変わらない値段で向かうことは出来そうだった。

そうと決まれば、まずはサンタ・クララ観光だ。
バスターミナルを出て、タクシーの勧誘を振り切り、ゲバラの像を目指す。
ここには、ボリビアで亡くなったゲバラが眠っているという霊廟がある。

6mのゲバラの像の台座には「Hasta la victoria siempre」と刻まれている。
日本語で「常に勝利に向かって」と言う意味らしい。とても力強い言葉だ。

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開館の時間を待ち、博物館も見学した。
ゲバラは幼少のころから気の強そうな顔だった。

もう一つの目的地トレンブリニダードまで歩こうとするが、どうも遠いようだったので、
バスターミナルに引き換えし、バラデロ行のタクシーとまとめて交渉してみることにした。

バスだと2人で22ペソで行ける、バラデロ。
タクシーならもっと安く行けるかと思ったが、
便が少なく、次の便まで時間があることもあり、2人で30ペソが交渉の限度だった。
代わりに当初の予定通り、
トレンブリンダードに寄ってもらってからバラデロに向かってもらうことにした。

トレンブリンダードは革命勝利のきっかけとなった装甲車を襲撃した場所だが、
実際足を運んでみると、周りの今の生活感もありすぎてかあまり感じるものが少なかった。

ざっと眺め写真だけ取ってバラデロに向かう。

タクシーの中は、やはり狭くて、
運転手ともコミュニケーションがうまくとれない部分もあるので気を遣う。

愉快な運転手ならいい。無愛想な運転手ならなおさらだ。

時刻は14時手前。
到着が間近になった時、「バラデロのどこだ」と言うのでホテル名を伝えた。
すると、運転手はごにょごにょ言っている。
こっちは何を言っているのか全く理解できない。
結局、会話が通じないままに話が途絶えてしまう。

5とか8とかの数字を途中口にしていたようだったので、
「ホテルまで行ったら追加料金よこせとか言うんじゃないの?」と予想していたら、
案の定、ホテルで車を降りる際に、追加料金よこせと言ってきた。

さすがに話も通じてない上に、追加で請求してきた料金も高いので、
断ってホテルへと向かった。

車を停める前からお金を請求してくるので怪しいなとは感じていた。
その為、トランク内のバックを貰うまでお金を渡すのはやめておいたのが功を奏した。

それにしてもお金のいざこざはホント気分のいいものではない。

ホテルの受付で、部屋があるかを訪ね、チェックインすることにした。
部屋が用意できるのは16時とのことだったが、施設はすぐに利用できるという。
お金を払って、オールインクルーシブとばかりに早速バーに飲物を注文しに行く。
部屋が空くまでの間に、散歩して一通りのバーで一杯ずつ喉を潤していった。
せっかくのサービスなのだからつかわにゃ損。貧乏人根性が働く。

ビーチに出てみると、そこには綺麗なカリブ海と砂浜が広がっていた。
これまで見たビーチの中でも片手で数えられる海の綺麗さだ。

16時を過ぎて、部屋に入った僕たちはビーチに遊びに行く準備を始める。
するとドアをノックする音が聞こえた。
なんだ、と思うと、ルームクリーニングの人達だった。
見るとまだ部屋の用意が十分にできていない。

16時にチェックインの時間までにクリーニングが終わらなかったうえに、
そこに、受付の人は僕たちを通してしまったようだ。

日本では考えられないが、別にクリーニングの人たちは悪びれるそぶりもない。
シャンプーなどを置き忘れたので受付に言いに行くが、受付も別に謝ることはない。

日本クオリティの凄さを改めて感じてしまった。

準備を終え、ビーチに向かう。
砂浜の割には透明度は高いし、変な浮遊物や流氷してきたものもなくホントきれいな海だ。
ぷかぷかと浮かんで遊ぶ。カリブ海はしょっぱい。

暫し海で遊んでから陸へと上がった。

シャワーを浴びてから、ビュッフェの夕食へと向かう。
「さぁ食べるぞ」と意気込んでいた割に、
あまり美味しくもないし、あまり量を食べることも出来なかった。
でも、久々ホテルでの食事っていうのも悪くない。
飲物飲み放題でフルーツも沢山あるっていうだけで十分幸せだ。

その後、バーでお酒を貰いつつ、外に出てみると雨が降っていた。
夜になるまで降り出すのを待ってくれていたとはツイテル。

まったりと部屋でホテルライフを満喫した。

Day222:2013年6月29日】トップクラスのカリブ海

朝起きると外は快晴だ。
昨日の雨は夜のうちにあがったようだ。

朝からビュッフェの朝食を頂く。
部屋に戻り、最後に海に行っておくべきか悩む。
快適なベッドの上でゴロゴロしているとつい動き気が失せる。

暫し、ベッドの上から動けなかったが、
12時のチェックアウトを前に、最後のカリブ海を眺めるべく意を決して行動を開始した。

ビーチに辿り着くと、昨日よりさらに綺麗な海がそこには広がっていた。
何が昨日と違ったかと言うと、たぶん一番は波だ。
昨日も確かに綺麗だったのだけど、波があったため少し砂が浮いていた。
それでも足元が見える位だったのだけど、今日は殆ど波がなく、綺麗に足元まで透き通っている。

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直近のメキシコのイスラ・ムヘーレスのビーチも綺麗だったけど、
それを超え個人的にトップクラスに綺麗なビーチだった。

意を決してビーチまで足を運んでよかった。
こうも日によって自然は表情を変えるから、また面白い。

海でしばし遊んだ後、荷物をまとめに部屋に戻った。
ほぼ12時きっかりにチェックアウトし、僕たちはハバナへと向かうことにした。

まずは、バラデロのバスターミナルに向かう必要がある。
ただ、バスは15時過ぎにならないとない、という話を耳にした。

バスターミナルに行けば、昨日のように安く行ってくれるタクシーも見つかるかもしれない。
とりあえず、バスターミナルに向かうべく、タクシーを捕まえることにした。
とはいえ、ホテルでタクシーを捕まえるのでは値段の交渉が出来ない。

炎天下の中、僕たちは、バスターミナルに向けて大通りを歩き始めた。

案の定、大通りを歩いていると抜かしていくタクシーが声をかけてくる。

「どこに行くんだ?」
「バスターミナルまで。」
「15でどうだ?」

直感的に高いと感じる。というか、論外に高い。

「高すぎ。」

一言だけ伝え、前を見据えて歩きはじめる。

「10でどうだ?じゃ、5は?」

なんかそこまですぐに下がると最初の価格がすごい不誠実に思えてくる。
「めっちゃ、ふっかけてきてたんだな、こいつ。」そう胸の中で思いながら、
とりあえずもう少し歩いてみることにした。

暫く歩いてるが、意外と声をかけてくれる人がいない。

バスターミナルまで歩くと余裕で2-3時間かかるはずだ。
それはそれで15時過ぎのバスにちょうどいいかね、なんて話しながら、
さすがに重い荷物を背負っていることもあり、疲れてくる。

間もなく1台のタクシーが停まった。

「どこに行くんだ?」
「バスターミナルまで。」
「そのあとはハバナか?これで直接ハバナまでいかないか?」
「いくら?」
「50でどうだ?」

直接行ってくれると言う話まではもってこいだった。
ただ、値段が予算オーバーだ。

渋っていると「40で行くぞ?タクシーはお前たちだけだ」と言う。

バスターミナルまでのタクシー代と、着いてからの交通費を節約できることなど、
色々考えても、せめて30で行きたい。
「40はノーだ。」再び前を向いて歩きはじめる。

「ならいくらならいいんだ?」
「30で行きたい」と伝えると、
「他にも人を乗っけてもいいならいい」と条件付きで話はまとまった。

僕たちは現代社製のタクシーに乗り込んだ。
タクシーに乗り込んで間もなく、強い雨が降ってくる。
少し間違えば、歩いている最中にずぶ濡れになるところだった。危なかった。

今回の運転手はとても気さくな人物だった。

昨日の運転手のように、何かにつけてお金を取ろうとする気配もないし、
途中売店で買ったお菓子を分けてくれたりと、好感のもてる人だった。

約束通り途中から現地の人も乗せてハバナへと向かった。
道中、カリブ海沿いをずっと走っていくこともあり車窓からの景色がとても綺麗だった。
バス同様、基本寝ているうちに気付いたらハバナの国会議事堂間近だったのだけど。

カピトリオと呼ばれる旧国会議事堂を降りた僕たちは、
嫁が事前に調べていたドミトリーの宿にチェックインし、荷物を降ろした。

少し、街を歩こうと思うと、再び雨が降り出してきた。
朝の快晴が嘘のように、昼からはぐずついた空模様が続いている。

1時間ほどたってやっと雨があがった。
近くの現地通貨が使えるお店で夕食を済ませ、海沿いまで散歩した。
2週間前と同じ光景だが、やはりハバナは大都市だ。観光客も多い。

散策していると、再び雨粒がぽつりと落ちてきたので、
いつも通りラムとコーラを買って宿に戻った。

すっかり、夜のお供はクーバリブレとなっている。

Day223:2013年6月30日】ハバナ散策

本日も快晴。
天気がいいと、気分もいい。

宿泊に付いてくる宿の朝食を食べる。
パンに、卵に、フルーツに、ジュースに、コーヒーといつも通りの組合せ。

ご飯に、お味噌汁に、納豆なんて、日本のいつも通りの朝食が懐かしい。

バラデロからハバナに帰ってくるタクシーの中で、
運転手のおっちゃんが「ハバナの街は歩いてみて回れるよ」と言っていた。

まだ革命広場も見れてないし、今日は一日街を散策しようと、宿を出発した。

まずは、民芸品市場に向かってみた。
ここで買いたいものがあるかどうかによって、最後の両替の額を考えようと思っていた。
そう言えば、まだ、キューバでお土産と言うものを買っていない。
せっかくなので、何か記念のモノがあればな、と思っていた。

民芸品市場は、大きな倉庫の中にあって、小さい店が沢山、軒を連ねていた。

完全に観光客向けなのだが、旧市街の外れにあるためか、客の入りもまばら。
お土産屋の勧誘もしつこいので、ゆっくり見ようとあまり思えない。

太鼓などの楽器や絵は、いいのがあれば欲しいなと思うのだけど、
あと5カ月の旅を考えると、何とも気が進まない。

結局、ざっと市場内を一周して出てきてしまった。

もう後は最小限のお金があれば十分かなと思い、
両替所のあるオビスポ通りへと向かった。

オビスポ通りへ行く途中、ラム酒のハバナクラブ博物館があった。
博物館の中に入るには入場料がかかるようだが、
ショップには無料で入れるというので覗いてみる。

何かいいものがあればと言う期待と裏腹に、特段惹かれるものはないまま、店を出た。

中庭に出ると、そこでラムのオリジナルカクテルが売られている人だかりができている。
後ろでは、サトウキビのジュースを絞り出している人がいた。
ラムはサトウキビのお酒だが、どうやら、ラムのサトウキビジュース割を飲めるらしい。

気になる。

早速1杯3CUCのその飲物を注文してみる。
ラムをコップの半分くらいまで入れていたので濃いんじゃないかと思ったが、
サトウキビの甘さのおかげかとっても飲みやすい。
甘いラムのカクテルと言えばピナコラーダやラムコークだけど、それよりずっと飲みやすい。

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ここでしか飲めないものを飲めた気がして、嬉しくなった。

結局、お土産は手に出来なかったけど、満足してハバナクラブ博物館を後にした。

旧市街はオビスポ通りがメインかと思っていたが、
それ以外の通りも綺麗に整備され、とても素敵な街並みだった。

特にビエハ広場などは広場に面した建物が綺麗に復元され、雰囲気の違う空間が広がっていた。
建物の復元前後の写真がそれぞれの建物に掲げられていて、それがまた面白い。

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オビスポ通りに向かって暫く歩くと、人が並んでいる露店を見つけた。
すると、横にいた嫁はテンションを上げ、何も言わず、自然とその列に並んだ。

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キューバに来て嫁はずっと「チュロスを食べたい」と言ってきたが、
これまで期待に沿うチュロス屋と出逢ってこなかった。
キューバ出発間近となり、今日もチュロス屋を探す気満々で宿を出たのだが、
やっと思い描いていたチュロス屋を発見したのだ。

ここに来て、嫁の希望が叶ってよかった。

チュロス代を渡してあげると、嫁は子どものようにチュロス屋に並んでいる。

結構な量のチュロスが50円程度だった。
チュロスと言うと棒状のものを思い浮かべるが、
キューバでは渦巻上に揚げたものを適度な大きさに切って紙に詰めてくれるのだ。

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チュロス片手に、オビスポ通りに向かい、両替をすませた。

一度、宿に戻りパスポートなどを置いてから、
続いて新市街の革命広場を目指す。

「歩いてみて回れる」とはいうものの4km程離れており、
1時間くらい歩くことになった。

少し観光のエリアを離れると、キューバの人の日常の生活空間が広がる。
「社会主義」だからと言って、特段変わった風景はない。
南米の国々と同じような雰囲気だが、違うことと言えば、
キューバは多くの人種がバランスよく混ざっているということだろうか。

炎天下の中、汗だくになりながらやっと革命広場に到着した。

キューバと言えば、必ず出てくる内務省の壁に描かれたゲバラの肖像画。
これまで車の中からは見ていたのだけど、落ち着いて写真を撮りたくやって来たのだ。

メーデーなどの時には人で埋め尽くされるという広場も、
何もないただの日曜日はポツンポツンと観光客がいる程度だった。

ゲバラとカミロが描かれた壁を写真に収める。
青空がとても清々しい。

写真を撮り終えた僕たちは、再び宿があるカピトリオを目指し歩き始めた。

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朝からずっと歩き、さすがに歩きつかれた。

21時に川を挟んだ要塞で大砲を発射するセレモニーがあると言うので、
それに行こうと考えていたが、カピトリオに戻ってきた今の時刻は15時手前。

宿で一旦休憩することにした。

宿でのんびりしていると気付くと時計は17時半を指していた。
ご飯や移動の時間を考え、再出発することにした。

昨日夕飯を食べた隣の店で、夕食を食べることにした。
ワンプレートのご飯に、店の前で売られていたアボカドを半分ずつ乗せてもらう。
現地通貨が使えるお店のため、1人100円程度でお腹一杯になった。

その後、川を挟んだ要塞に向かうべく、フェリー乗り場を探した。

乗場で「いくら?」と尋ねると「1人1だ」という。
手元にあった「CUC」で払ったが、後で現地民用の「CUP」だったのではと気付く。

観光客は普通タクシーで行き来をし、フェリーに乗っているのは現地の人ばかりだった。
現地の人に1CUCと言うのは24CUPであり高すぎるのであり得ない。

そう言えば旅人の情報で、
普段街中でタクシーに乗る際、値段を聞いてはいけないという話を耳にした。
値段を聞くと「CUC」で高い値段を言われるが、
行先だけ伝え当然のように乗車して、降りる際に「10CUP」渡せば大丈夫らしい。
足りないと言われた時だけ、さらに追加して「CUP」を渡せばなんとかなる、と。

ホント二重通貨制と言うのは分かりにくい。

何はともあれ、フェリーが「CUC」か「CUP」だったかはわからないが、
タクシーで行くよりは安く済んだので良しとしよう。

カバーニャ要塞に向かっていると、雨が降ってきた。
雨天時、大砲発射のセレモニーはどうなるのだろうと不安になりながら、
とりあえずカバーニャ要塞へと向かう。

フェリーの降り場から30分ほど歩いて、カバーニャ要塞に到着した。
セレモニーまでは時間があるが、雨はまだ降っている。

入場料とは別に1CUC払えば飲物が付いてくるということで、
その飲物を飲みながら、雨宿りしつつ、時間を潰すことにした。

レストランで飲物を飲んでいると、
テレビでは、コンフェデの決勝が終わり表彰式が始まるところが流れていた。

優勝はブラジル。
ホームと言う利点があるとはいえ、ホーム故の重圧の中ちゃんと結果を残すのは凄すぎる。
来年のワールドカップが楽しみだ。

表彰式をテレビで見終え、テンションあがって外に出ると雨はほぼほぼ止んでいた。

入口の人は20時半からだと言っていたが、
レストランの人は21時に「バンっ」と発射されると言う。

どっちがホントだろうと思いながら、
バルコニーと呼ばれる大砲が見える高台に登り、開始の時刻をまった。

20時半になると昔の衣装をまとった人の行進が始まった。
どうやら2人とも言っていることは正しく、
20時半からセレモニーは始まり、30分余興が続き、21時に大砲が発射されるようだ。

セレモニーはゆっくりゆっくりと進行していく。いつしか観光客が沢山集まっていた。
奥に雨上がりのハバナの夜景を見ながら、のんびり眺めていた。

いよいよ大砲発射の時が近付く。
それまでのセレモニーもそんな大々的な感じではなかったし、そんな期待せずに眺めていた。

衣装をまとった人が、きっといつも通りに大砲の周りで決められた手順を進めていく。

いざ点火の時。

火を点ける。火が大砲の中に伝わっていったその時。

「ドゥンッッッッ!!!」

文字では伝えられない爆音があたりに鳴り響いた。
腹の底まで音が響いてきた。
嫁が構えていたカメラはめっちゃ手振れしていた。

一旦静寂が訪れた後、あたりは観光客の拍手で包まれた。
いやはや、川を渡ってこなければならず、遠かったけど来てよかった。

ハバナに行く人に「どこがお勧め」と聞かれたら、
迷わずこの大砲発射のセレモニーを勧めるだろう。

あの一発の音は聞く価値がある。

さて、どうやって宿に戻ろうと要塞の出口に向かうと、沢山の客引きが待ち受けていた。

「いくら」と尋ねると、「5CUCだ」と言う。
ガイドブックでも「5CUC」と書いてあったのでそんな吹っかけてきているわけでもない。
もう少し探そうと歩き出すと「4CUCでいい」と言ってきた。

財布の中を確認すると4CUC持っていたが、少し小銭を抜き「これしかないんだ」と伝えると、
「しょうがない、それで行くよ」と話はまとまった。

客引きに付いていくとタクシーではないクラシックカーが待っていた。
小遣い稼ぎに、こうした観光地に来て闇タクシーを営業しているのだろう。

キューバ人の月収はCUCで換算すると20CUCに満たないと言うから、
外国人向けにこういう商売した方が簡単に稼げるというわけだ。

みんなが観光に群がって、キューバが観光で擦れていってしまうのも時間の問題だろうか。
貧富の差が拡大すれば、治安も悪くなってしまう気もする。
今後どうキューバは変わっていくのだろう。

海底トンネルを潜ると、ものの10分もかからず、カピトリオに戻ってきた。

売店で飲物だけ買って、宿に戻る。
朝からたくさん動いて疲れたのか、シャワーを浴びて横になっていると、
すぐに寝てしまった。

Day224:2013年7月1日】ハバナ観光集大成!?

明日には出国。実質的には今日がキューバ最終日。
最後を楽しもう。

と、思って目を覚ますと、今日は生憎の空模様だった。
起きたのもゆっくりだったが外は雨模様。

朝食を食べてからドミトリーでごろごろ、天気が良くなるのを待った。
待てども待てども、天気は回復する様子がない。

今日は、一日部屋でゆっくりかしら。
昨日、一通り散策しておいて良かったな。

そんなことを思いながら、雨があがるのを待っていた。

昼を過ぎてやっと雨は上がった。
でも空は重い曇り空。ホント昨日、一通り街を見ておいて良かった。

お腹もすいたので、まずはキューバ初日に立ち寄ったピザ屋に行く。
CUPで買えるので、40円程のピザ。これが焼き立てで美味しい。
立ち寄るごとに飲んでいた、フラペチーノ状の新鮮なフルーツの飲物も貰う。
これは10円弱。

続いて、昨日発見したチュロス屋に向かってみることにした。
天気もイマイチだし、もうここまで来たら新しく見たいものも特にない。
これまで行って良かった店を目指してみよう。

最後だし、ハバナ集大成だ!

道中、残っているCUCを使う場所はないかとお土産屋を覗いてみる。
太鼓のようなかさばる楽器は無理でも、なんかいいものないかなと、諦めず探すことにした。

最初のお店で太鼓を見ながら、脇にマラカスや木の筒のようなものがあるのを発見した。

木の筒。ただの木の筒なのだけど、叩くと中々にいい音がする。
言ってみれば「火の用心『カン カン』!」そんな感じの音。
これなら嵩張らないし、自分へのお土産にもいい。

値段を聞くとプロフェッショナル(ちゃんとした楽器?)は20、お土産用は10や3だと言う。
20は高すぎるにしても、10(1,000円)以下なら悪くはない。
とは言え、まだ他を見ていない段階で決めるのも失敗する気がして、他の店を見てみることにした。

他を回るとプロフェッショナルで10、お土産用は3だというお店があった。
物は最初の店と大して変わらない。やっぱ他の店を見てみるに越したことはない。

3軒目のお店は、少し艶は劣るがプロフェッショナルは6、お土産用は2と言うことだった。
お土産用の商品は他のお店と物は変わらない。
音の出し方も教えてもらい、モノも手にしっくりきた気がしたので、このお店で買うことにした。

他のお店より良心的だし、せっかくなので、
プロフェッショナルとお土産用を合わせて7で交渉して売ってもらうことになった。

ここまで何もお土産に欲しいと思うものはなかったが、
意外と気に入ったものを手にすることが出来た。

個人的なお土産を手にしたのち、チュロス屋を目指した。

嬉々として列に並んでいた嫁の姿もまた見たい。

…と思って向かったチュロス屋だったが、
昨日出ていた場所で見つけることが出来なかった。

店が出ていた裏のレストランで聞いてみるが今日はチュロスはやらないという。
残念。
嫁も当初がっかりしていたが、まもなく気を取り直した。

その後、なんとなくあたりを散策する。
入るつもりはなかったが外から一目見ようと革命博物館に向かってみた。

通りから眺めると、
カストロやゲバラが上陸に使ったというグランマ号は意外と小さかった。
それがまた、革命の凄さを強調しているようだった。

友人が起業する際、名前に「グランマ」を冠していたのはここから来ているのだろうか。
キューバに来てから思っていた疑問が、ふとまた頭の中をよぎった。
そう言えば、『革命』と言えないまでも、世に『変革』を起こしそうな奴だった。

そんなことを思っていると、革命博物館の入口に、ゲバラに似た人物がいる。
遠くから見るとホント似ていたのだが、どうもゲバラのコスプレをした人の様だった。

色んな人がいるものだと思いながら、せっかくなので一緒に記念撮影をした。

聞くと、インドから来たという。
キューバに来て、初めてインドから来た人に出逢った。
やっぱこんなことする人がいるとはインドはインクレディブルだ。

でも、海外に出てくるだけあって、多分相当の教育を受けている、相当な人なのだろう。
若い感じで、なんだか、いい人そうだった。

チュロスですっかり落胆していた僕たちだったが、
その後もふらふら街をぶらつき、昨日も来たハバナクラブ博物館に辿り着いた。

昨日同様ラム酒のサトウキビジュース割を貰う。
やはりすっきりしていて実に飲みやすい。

2人で一杯飲んで、また通りをぶらつくことにした。
時計を見るともう夕方だった。

商店でキューバで一番美味しかったラム”Santiago de Cuba”を買い、
夕飯は、一昨日・昨日食べたCUPのお店@中華街で、
キューバ風中華風炒飯をお持ち帰りにし、宿に戻った。

キューバはラムの産地と言うことで、各ブランドのラムを幾つか飲み比べた。
安いやつではなく「Anejo」と言う色の付いたのを飲み比べたのだけど、
お互い共通の意見として一番良かったのが”Santiago de Cuba”だったのだ。

“Santiago de Cuba”はSantiago de Cubaの街でしか売っていないのかと思っていたけど、
普通にハバナ市内の商店でも売っていた。

キューバ風中華風炒飯はその場で食べるのが一番だなと思ったけど、
やはり、ラムは”Santiago de Cuba”が一番だ。

天気はいまいちだったけど、キューバ集大成の充実した一日だった。

Day225:2013年7月2日】キューバ出国の時

カンクン行の飛行機は15時半発だった。
空港には13時過ぎには着いていたい。

朝食を食べた後、荷物をまとめた。
手元には、空港までの交通費や出国税を除いて、5CUC弱と17CUPがある。

無駄のないよう使い切ろうと、外に出た。

CUPが使えるお店で、ピザを食べ、ジュースを飲む。
ハバナ滞在中は毎日のようにお世話になったお店だ。
続いて、売店で5CUC弱になるようラムとお菓子を買った。

もはや手元には1CUP(4円)しか残っていない。やりきった。

宿に戻ると、カンクンで再会を果たしていたまさやくんに遭遇した。
僕たちより5日早くキューバ入りし、2日後にキューバを出る予定だったのは知っていた。
キューバ滞在期間は丸かぶりだったので、逢えることに期待しながらも、
ちょうど昨日も「どこにいるんだろ。会えなくて残念だったね」と嫁と話していたところだった。

まさか、最終日のここで。

一緒に飯食ったりできなかったのは残念だったけど、
最後の最後での偶然の再会にテンションがあがった。

暫しお互いの2週間の旅の話を共有しあった。

あっという間の出発の時。

宿の前でタクシーの客引きにあう。聞くと20CUCだと最初に言ってくる。
高すぎるので無視して歩いていると、15CUC、10CUCとどんどん値段が下がる。

そもそも観光客におっきく吹っかけてくるその姿勢が気に食わない。
そういう人とは基本的に交渉をする以前の段階で構わないようにしていた。

さっき買い物に出た時、予算丁度の15CUCで空港まで行ってくれると言う人がいた。
そして、その横の方には、
「10でいくぞ、俺は」と言わんばかりに両手を広げてアピールしていた人がいたので、
その人がいた方に向かって歩いてみた。

聞くと「10で行ってくれる」と言う。
「お前たちカンクンか?ならターミナル3だ」
ターミナルはどのターミナルだろうと悩んでいたところにその言葉。
かゆいところまで手の届く人だ。

「10って、5、5ってことでいいんだよね?」念のため1台か1人あたりかを確認する。
「5、5だ」と運転手が答えてくれる傍ら、
「10、10だぜ!(笑)」と一緒にいた仲間がかき消すように茶々を入れてくる。
そんなやり取りも楽しい。

ソ連製のLADAに乗って空港へと向かう。
時間のかかるチェックインカウンターでの手続きを終え、出国税を払い、
イミグレを越えた。

タクシーで予定より浮いた5CUCで、最後にキューバの音楽CDを買った。

14泊15日間。

最初は長く感じたけど、
振り返ってみるとあっという間の15日間だった。

もうすでに変わり始めていると言われるキューバだが、
5年後にまた来たら全く違う国になっているんだろうな。

古き良き時代のキューバを少しだけ垣間見れた気がした。