365日旅日記。(日本編)

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365日旅日記。(日本編:2013年5月16日-26日)

Day178:2013年5月16日】日本一時帰国

南米の旅をガラパゴス諸島で終えてから、
ガラパゴス諸島→グアヤキル、
グアヤキル→リマ、
リマ→マイアミ、
マイアミ→サンフランシスコ、
サンフランシスコ→シアトル、
シアトル→バンクーバー、
バンクーバー→成田、
と7本の飛行機を乗り継いで、やっと日本に戻ってきた。

機内の窓から見えた日本の田園風景にはちょっとうるっときた。
この季節、田植えが終わり、水が貼られていて、一面空を映している。
なんとも美しい風景だった。

約半年ぶりの日本。
日本語だらけの表示に違和感がある。

「おかえりなさい」の標識が嬉しいのだけど、
「Welcome」より「おかえりなさい」が前面に出てることになんだか淋しさも覚える。

これまで行った国の多くは「Welcome」が前面に出ていた。
日本のおもてなしは凄いと言うけれど、
入り口からしてちょっとおもてなしの心が足りないんじゃないだろうか。

日本人の利用者が圧倒的に多いのは分かる。
けど、日本独自に進化した携帯をガラパゴス携帯なんて呼ぶが、
日本自体もどこか海外の人からしたらとっつきにくいんじゃないかな、とか考える。

成田から東京駅までは900円バスに乗る。
多分これが成田から東京の中心に出る最も楽で最安の手段だと思う。

さて、これが、海外からの観光客にどのくらい認知されているのだろう。
バス停に辿り着くと、既に列をなしていたが案の定、外国人は殆どいなかった。

海外を半年旅しながら、日本の観光促進について色々な仮説を考えていたのだけど、
「日本はちょっと惜しい」と考えていた。
それは、僕を始め語学の壁が大きいのではと思っていた。
上手く色んな情報を伝えられていないんじゃないだろうか、と。
日本人の優しさも心配りも、伝わっていなければ、何も意味がない。

車窓から懐かしい日本の風景を眺める。
なんだか少しぎこちない風景がそこにはあった。

東京駅に辿り着き、JRの電車に向かう。
SUICAがクレジットカードに一体化されていたことも忘れ、切符を買う。
電車に乗る。

いつも自然に行っていたその行動一つ一つもぎこちない。

電車の中は平日ということもあり、サラリーマンが多い。
バックパックを背負って日に焼けている僕たちは浮いている。

旅している最中に「あー凄く働きたい」と思ったり、
「バリバリやってるのカッコいいな」と思ったりするのだが、
目の前にしてみると、そういう風になりたいかと言うと何とも言えない。

「組織の中で働くか、自分で何かをやってみるか」
半年たってまだ解は見つからないが、次の半年の自分への問だ。

新宿駅で小田急線に乗り換える。
下北沢の駅に着いた時に驚いた。
誰かのFacebookで見た気もするけど、下北沢の駅って地下に潜ったのね。
たった半年だけど変わるものは変わる。その変化に驚いた。

実家に辿り着いたら母が迎えてくれた。

父が帰ったら夕食にすると言う。
少し遅くなるからそれまでに少しお腹に入れておく?と聞かれ、
嫁と2人で納豆を食べることにした。納豆ご飯ではなく納豆だけ。

半年ぶりの納豆は美味かった。
変わるものもあれば変わらないものもある。

父が帰ってきて、久しぶりに食卓を囲んだ。
やっぱり日本の家庭料理は最高だ。

父と久しぶりに飲んだらお酒がすすみ、
ベッドまでの足は遠く、リビングのソファで眠りについた。

Day179:2013年5月17日】親友との再会も築地の魚屋にがっかり

「日本にせっかく戻るのだから日本を観光しよう」と考えていた。
そう、ここは世界旅行12か国目の地、日本。

ちょうどよくこの週末は三社祭が行われるという。
生憎、土日は予定があるが、三日間の初日の今日ならいける。

夜飲もうと約束していた友達も昼から空いているということで一緒に行くことにした。

久々に足を運んだ浅草。
観光案内所がモダンな感じでしっかりしていたことに驚いた。
もっと日本は惜しい感じだと思ってたのだが、中々にイケていた。
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そして、平日にもかかわらず、仲見世通りには結構な観光客であふれていた。

三社祭はと言うと、3日間開かれるクライマックスは3日目の日曜日で、
初日は、ほんの少しの見世物がある程度でこじんまりと言う印象だった。
出す側・見る側も、平日と言うことで仕事がある人も多いのだろう。
そんな中でも東京の文化を垣間見れて楽しかった。今度は日曜日に行きたいところだ。
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せっかく浅草に来たので、
オープン後足を運べていなかった東京スカイツリーまで散歩してみた。
依然混雑していたスカイツリー。
整理券制で、15時くらいに行ったが、券を買えるのが17時頃だという。
もうすでに立派な観光名所だ。

展望台は諦め、スカイツリーの商業施設ソラマチを覗くことにした。
入っているショップもいまどきな感じでお洒落だった。
栃木のアンテナショップに「ソラマチ限定品」が置いてあったのになんだか疑問を感じつつも、
見て歩くだけでも楽しめる場所だった。

今回の帰国は期間が短いこともありお互いの親族と時間を長く過ごそうと思い、
帰国もあまり周りに伝えていなかったが、
唯一この日だけ中高からの仲間と再会しようと予定を組んでいた。

親友の「魚か寿司が食べたい。」の一言で、
夜は築地の魚屋で集まることにした。

みんな仕事もあるので、集まる時間はばらばらだ。
集まった人から飲みはじめ、ある程度人が集まったところで食べ物の注文をすることにした。

「これとこれください。」
「あと、刺身の盛り合わせって出来ます?」
「何人前にしよう。」
「とりあえず、3人前くらいでいいんじゃないですかね」と店員に言われ、
「では3人前で。」と注文を終えた。

「あ、刺身の盛り合わせって何が入るんですか?」と尋ねると、
「それは板さんのお任せなので分かりません」と言う。
「貝を入れてもらえると…」と伝えた。

ここまでは良かった。

暫く、来た料理を摘まみつつ飲んでいると、刺身の盛り合わせが運ばれてきた。

「こちら2皿分けさせていただきました。」

見た感じ量が多い。
「これ何人前ですか?」と聞くと、「6人前です。一皿3人前になってます」と平気で言う。

ん、お前が3人前を勧めてきたんじゃないのか。と思いながら、
「あーそうですか。まぁいいですよ。貰いますよ」と最初は受け入れようと思った。

ただ、よく見ると、刺身にキャビアっぽいものがのっていたり、ノドグロだの大トロだの、
どうも雰囲気がそこらの「刺し盛」と違う。豪華と言うか下品と言うか。

「ちなみにこれ一皿いくらですか?」と聞くと、
「一皿1万2千円です」と言う。

みんな固まった瞬間だった。
「あ、すみません。じゃ、下げてください…。」

値段を聞いて態度を変えるのも恥ずかしい話だが、何とも信じられない事態だった。

値札がそもそもなかったり、ビールが1杯1,000円くらいする店だったらまだわかる。
だけど、ビールも他の料理もそんな驚くほど高い店じゃない。
寿司だって1人前10貫3,000円という至って普通のお店だ。

それで刺し盛をお願いすると、
「板さんのお任せ」だといい、1人4,000円のモノを作ってくる。

接客してくれた人を呼び、どういうことかと尋ねるも、
「板さんのお任せなのでこういうものです」という理解できない説明しかしない。
こちらが怒っていることは認識し、多少は悪いと感じているのか、少し目は泳いでいる。
「盛合せは大抵1人前3,000円くらいで用意させてもらっています。」
1人4,000円のモノを持ってきておきながら説明の辻褄もあわない。

ちゃんとした接客をする若い女性が代わりに謝りに来るが、
「ご指定がないので、お任せで出させていただきました」と言うばかり。
この子は悪くないし、態度もしっかりしているので、幾分こちらも落ち着きはしたが、
その陰でこそこそしている当事者には腹立つばかりだった。

注文を介した奴も介した奴だし、料理する奴も料理する奴だ。
お客様の求めているものを考えて料理を出そうと思っているのだろうか。
店の方針として儲けしか考えていないのか、自分のつくりたい物をつくったというのか。

僕たちだって、世の中平均からすればお給料をもらっている方だと思うのだけど、
僕たちには合わない店だったのか、到底理解しがたい接客だった。

隣の席では、社用族っぽい人が利用していたが、
社用族のお客様が多くてボケてしまっているのかひどいお店だった。

築地は、東洋一のフィッシュマーケットとして観光客の人気も高い。
海外から来たお客様が同じような目にあったら日本の印象は最悪だろうなと残念な気持ちになった。

「すんません、お会計を。」
漫画に出てくるように即お会計を済ませ、
ただ、その時点で出てきたものだけはちゃんと頂き、店を変えることにした。

確かに、高いだけあって、その刺身の味は良かったのだが、
皆、それを味わう気分ではなかった。
あの店には一生足を運ぶこともないだろう。

その後、入った店は良心的なお店だった。

久しぶりの再会と言うこともあり、話は弾み、その後そのまま友人宅にお邪魔し、
旅中貸しているビーチボーイズを一緒に見ているうちにいつの間にか眠りについていた。

Day180:2013年5月18日】シェアメイトの結婚式

朝、友人宅で目を覚ました。

今日は午前中から予定が詰まっているので、早々にお暇することにした。
次の再会は半年後か。

午前中は、定期的に友人と集まり情報交換をしている「日本を変える会」へと向かった。
思えば嫁と別行動をとるのも半年ぶりのことだ。

24時間×180日一緒にいるなんて普通の人には考えられないことだろう。
相性がいいのか、大きな喧嘩もせず、楽しくやってこれたなと思う。

久しぶりに赤坂見附の駅を降りる。なんだか不思議な感じだ。
解体を始めていた赤坂プリンスホテルが実に小さくなっている。
下北に続く驚きだった。
駅前の讃岐うどん屋で久々に大好物のうどんを掻き込み、約束の場所に向かった。

「日本を変える会」大層な名前だが、いずれはその名に恥じぬようになれればなと考えている。
今の活動はお互いの情報共有・交換が中心。
各地にメンバーは散っているため、半分以上はSkypeでの参加だが、
やはりFace to Faceの方が話しやすい。

旅行中もSkypeで参加してきたが、電波状態がよくなかったりとイマイチだったが、
久々に落ち着いてみんなの話を聞くことが出来、いい刺激を貰うことが出来た。

日本を変える会を終え、
夕方からのシェアメイトの披露宴に向け服を着替えるため、一回自宅に戻った。

久しぶりにスーツに身をまとい革靴を用意する。
はて、ネクタイどこやったっけ。ベルトどこにあるんだ。
久しぶり過ぎて戸惑うが何とか体裁を整え、家を出た。

披露宴で、久々の仲間たちと再会する。
誰かの結婚式って、この年になってくると同窓会の様相を呈して、それがまた楽しみでもある。

僕たちの人前式の進行もしてくれたシェアメイトの結婚式はとても素晴らしいものだった。
シェアメイトの幸せいっぱいな笑顔、手作り感ありながらも豪華な披露宴、「さすが」の一言だった。
このための一時帰国だったのだが、戻ってきてよかったと心から思った。

もう一つ感心したのが、会場であったリッツカールトンのサービスだった。
昨年同じ場所で挙式した友人も列席していたのだが、そこにすっと一人のホテルマンが寄ってきた。
「ようこそまたお越しくださいました。」という趣旨の挨拶をしている。
友人に聞くと、その人は去年の披露宴の時に、当日だけご一緒した人なのだという。
覚えていてくれたのだろうか、なんで自分が今日いることを知っているのだろうと不思議がっている。
最後のデザートが出てきた時、
彼のケーキには再度お越しいただきありがとうございますと言う趣旨のメッセージが添えられていた。
期待を超え、感動を呼ぶリッツカールトンのサービス。
「リッツは凄い」というが、その凄さを体感させられた。

友人たちとの再会は楽しい時間だったが、嫁が自分の実家で待っているということもあり、
終電に間に合うように自宅へと向かった。

Day181:2013年5月19日】甥との再会

帰国の目的であった結婚式は終わった。
後は、残りの時間は親族と時間を過ごしつつ、再出発に向けて備えるのみだ。

昨日遅かったこともあり、ゆっくりめに一日がスタートした。
朝ごはんを食べた後、物資の補充のため近所のユニクロと薬局を目指すことにした。

駐車場に車を停める。見ると同じ敷地内にABCマートもある。
ガラパゴスの最後でダメになってしまったビーサンを思い出し、覗いてみることにした。
ビーサンではないが動きやすそうなサンダルが1,000円で売っているのを発見し、
購入することにした。

その後、ユニクロ、薬局で足りなくなってしまったものを買い足す。
あまり荷物を増やすのは好きじゃないので、最低限必要なものを調達した。

その後、家電量販店を覗き、実家に戻った。

今日は、両親、兄家族と実家でご飯を食べることになっている。
出発した時点で4ヵ月だった甥がどのくらい大きくなっているか楽しみだった。

夕方、最寄駅に兄家族が着いたというので迎えに行く。
ベビーカーに乗ってすやすや寝ている甥は、大分6カ月の間に成長していた。

うん、兄の子どもにしては可愛い。きっと嫁のお蔭だろう。

それにしても、子どもがいると一気に場は明るくなる。
おじいちゃん、おばあちゃんも孫が来るとデレデレだ。

それは僕たちもしかり。
何を隠そうきっとこの半年で買ったお土産は甥・姪のものが一番多い。
ボリビアやガラパゴスで買ったお土産を早速あげる。

ぬいぐるみを口にくわえだすが、どうやら気に入ってくれたようだった。

抱っこしようとすると、間もなく泣き出しそうになる。
難しいお年頃だ。

食事が出来上がるまで甥と一緒に遊ぶ。
喋れるようになるともっと楽しくなるんだろうな。

すっかり甥が中心となった食卓を囲み、
久しぶりの家族だんらん佐々木家篇を楽しんだ。

Day182:2013年5月20日】のんびり過ごす日本での一日

世の中は月曜日、また新しい一週間が始まった。
朝一で、仕事に向かう母を車で送っていき、
その後家に帰る兄嫁と甥を駅まで送っていった。

特に何も予定のない僕は、ただの運転手だった。
ニートってこんな感じなんだろうな。

ふと家に戻ると昨日甥にプレゼントしたぬいぐるみが置き忘れられていた。
残念。
でも、昨日は楽しい時間だった。

何も予定はなかったが、
街をぶらついて、時間があったら温泉にでも行こうかと車で家を出た。

まずは行き慣れた町田に向かう。

時間も時間だったのでお昼を食べる場所を探すことにした。

日本に戻ってくる直前は、日本行ったらあれ食べよう、これ食べようと色々考えたのだが、
いざ帰ってきて、街中をぶらついてみると何とも食べたいものがよく分からない。

寿司を食べたいと思っていたのだけど、なんだか寿司屋の前を通るとその気分ではない。
ラーメンを食べたいと思っていたのだけど、その気になるラーメン屋が目につかない。

2,3日親の手料理を食べ、日本の料理に満足してきたというのもある。
それと同時に、久々なだけにただ単なる寿司・ラーメンではなく、
どこかとっておきの寿司・ラーメンを食べたいと思っている自分がいたのかもしれない。

少なくとも、道に溢れている飲食店に惹かれず、
「何食べたい?」「何でもいいよ」といつも通りの会話が続き、歩いた結果、
「スタ丼の店」に辿り着いた。

「久しぶりの日本の外食がそれ?」と思うかもしれないが、
一時帰国中に選んだ昼食としては悪くなかったと思っている。

スタ丼と言うと、
個人的には、昔、嫁を紹介してくれた友人と国立店に一緒に行ったことが思い出される。
あの時は何故か強制的に大椀いっぱいの大盛りを食べさせられた。
食べた直後は動けないし、翌日まで部屋の中がにんにく臭で満たされて大変だった。

今はあのような大盛りがあるのか知らないし、あっても当然食べるほどの胃袋はないが、
そんな思い出もあってか、久々のあのジャンクな感じが美味しかった。

昼食を終え、街をぶらぶらする。

時間があったら良く行っていた宮前平の温泉まで足を運ぼうかと思っていたが、
回数券を家に置き忘れたことに気付き、またにすることにして家に帰ることにした。

昼寝した後、
仕事から帰ってくる母を迎えるべく、キムチ鍋をつくることにし準備を始めた。
父は帰りが遅いということで、3人で夕食の食卓を囲んだ。

数日ごとに移動をして、宿を探さなくてはならない旅生活から考えると、
キッチンがあって、シャワーがあって、ベッドのある「自宅がある」ということは、
こうも落ち着くものなんだな、と改めて感じた。

そして、家庭はやはり温かい。

Day183:2013年5月21日】姪に嫌われる…。

昼前に、嫁と一緒に家を出た。

新宿を少し一緒に歩いたのち、
僕は先輩と昼飯を食べる約束があったため、嫁は一足先に義姉の家へと向かった。

先輩とは土曜日の結婚式の際にも顔を合わせていたが、
彼は司会進行を務めていたためあまり話すことが出来なかった。

先日の結婚式の新郎と共に僕たちの人前式の進行をしてくれた人で、
先輩と言うより、仲間と言った方がしっくりくる間柄のアツい人。

「日本にいるうちに昼飯でも食おう」と言うことで、時間を取ってくれたのだ。

話していると、いつも気付きや刺激を得られる。
今回も後半戦の旅に向け、ワクワクする刺激を貰った。

昼ご飯を食べ、お茶を飲んだのち、別れて義姉の家へと向かった。
義姉の家に到着すると、姪がちょうど眠りについたところの様だった。
さっきまで元気に遊んでいたらしい。

甥同様、出発前小さかった姪も、6カ月で大きく成長していた。
掴まり立ちがやっとだった姪が、もう一人で立って歩き回っているという。
子どもの成長って凄い。

暫くすると姪が目を覚ました。
しかし、ちょっと様子がおかしい。なんだかぐずっている。
眠る時間がいつもと違ったからだ、と義姉は言うが、姪は目を合わせてくれない。

せっかくだけど眠いのならしょうがない。

夕方お暇する時間になったので、最後に姪に挨拶しようとした。
義姉と嫁がいる時は目を開けているのに、僕が姿を現すと目を瞑る。
義姉と嫁曰く、僕が姿を隠すと、面白いように姪は目を開けるらしい。
僕の姿を見たくないのか、眠ったふりをしているのだという。
何度か繰り返したが、僕の姿を見ると確信犯的に眠ったふりをすることが分かった。

半年前はそんなこともなかったのだけど。
甥より1歳ほど年上の姪も難しい年頃の様だ。

これからもっと難しい年頃を迎えるだろうに、今がこれだと切ない。
将来自分の子どもに眠ったふりをされないように気を付けようと思った。

義姉の家をお暇した後、渋谷で義従姉と義妹と再会した。
なんだかあまり久しぶりな感じもせず、盛り上がった。

盛り上がりすぎて、終電余裕の電車で帰ったはずが、
嫁共々寝過ごしてしまい、親に遠くの駅まで迎えに来てもらう羽目になってしまった。

30歳にもなって住所不定無職な上に情けない限り。

後でメールを見て知ったのだが、旅先で逢った友人が渋谷で僕たちを目撃していたらしい。
再会できていたら劇的だった。
残念だったが、それでこそ次回の再会が盛り上がるというものだろう。

Day184:2013年5月22日】サウナからの水風呂は鉄板です

この一時帰国、
前半戦は僕の実家にて、後半戦は嫁の実家にて過ごすという計画を立てていた。

この日は、首都圏で過ごす最終日。

「日本にせっかく戻るのだから日本を観光しよう」と思っていた割に、
浅草に行った以外は至って普通の生活を送っている。

東京のドミトリーにでも泊まってみようと思っていたが、
結局、「思っていた」だけで、今回は見送りとなりそうだ。

最後に何をしようと相談した結果、一昨日行きそびれた温泉に行くことにした。

バスで青葉台まで出て、青葉台の駅ビルでまずは昼食を食べることにした。

「何食べる?」「何にしよう。」
「何でもいい」と言いながら大抵「何でもいい」わけはなく、
レストランフロアを物色しながら歩き回った。

結局、しゃぶしゃぶ食べ放題の店に辿り着いた。
肉の食べ放題なら1,500円くらいかかるのだが、
肉は1枚のみ野菜は食べ放題と言う1,000円以下のプランが刺さった。

中には肉がなく、野菜のみ食べ放題と言うプランまである。
昔はこんなプランなかったように思うが、店も良く考えるものだ。

久々のしゃぶしゃぶで沢山の野菜も食べれて大満足したところで宮前平の温泉に向かった。

温泉では決まってサウナと水風呂を繰り返す。
もはや「温泉」じゃなくてもいいわけだが、これがたまらないのだ。

サウナの、悪いものが全て排出される感じと、
水風呂の、精神が研ぎ澄まされ、静められていく行く感じが癖になる。

数時間の滞在ですっかり身も心もリフレッシュすることが出来た。

夜は、両親と4人で、食卓を囲んだ。
次会うのは半年後の予定だが、いつも通りの夕食だった。

Day185:2013年5月23日】福島の白河へ

出国の日は、嫁の実家から直接成田に向かうため、
荷物を全てパッキングして福島に向かわなくてはならなかった。

しかし、如何せん意外とパッキングに時間がかかる。

朝一に出ようと思っていたが、9時になり、10時になり…
結局パッキングを終え、家を出れたのは11時頃だった。

バスで行こうか、新幹線で行こうか悩んでいたところ、
義母から、「新幹線で来なさい」と嫁に連絡が来た。

聞くと、義母に加え義父もわざわざ会社を休んでくれたとのことだった。

東京駅で新幹線に乗り、新白河に着いたのは、3時手前だった。
義父母が駅まで迎えに来てくれていた。

白河城に寄ったり、夕食の買い物を済ませたりしたのち、
嫁の実家へと向かった。
義祖父とも久しぶりに再会する。

嫁の実家にも結構足を運んでいることもあり、すっかり寛いでしまう。
つい甘えてだらだとしてしまう上に、
沢山の食べ物とお酒を頂くため、体重に響く。

今回も例に違わず、
食卓いっぱいに広がる沢山の料理と絶えることのないお酒を頂いた。

義祖父、義父と一緒に飲めるというのもこの上なく幸せなことだ。

日本に戻ってからすっかりお酒浸りの生活だが、
この日も気分良くなって結構お酒がすすんだ。

Day186:2013年5月24日】那須高原へ

僕は生来早起きが苦手だ。
仕事をしていた時は頑張って起きていたが、どうも慣れはしない。

それは嫁の実家に来ても変わらず、すっかりゆっくり寝てしまった。
せっかく義父母はわざわざ有休をとってくれているのに、申し訳ない。
それでも「おはよう」といつも通り僕を迎えてくれた。

朝食をとったのち、義父母と一緒に出掛けることにした。
どこに行くかあまり把握しないまま車に乗り込む。

どうやら、五葉つつじを見に、那須高原の方まで行くようだ。

白河から車で1時間走ると、那須高原のMt. Jeans那須に辿り着いた。
五葉つつじは生憎満開前だったが、スキー場のオフシーズンの活用に感心した。
と、同時に、久しぶりにスノボに行きたくなった。
次の冬は、どっか滑りに行くかな。

Mt. Jeans那須を後にした僕たちは、南ヶ丘牧場に立ち寄った。
そこで久々牧場のソフトクリームを食べる。
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この半年間、海外でも結構ソフトクリームを食べてきたのだけど、
やっぱ日本の牧場のソフトクリームは違う。
濃厚で美味しい。こうも違うのかと思うくらい違う。

その後、那須の日帰り温泉に立ち寄った。
ここでも、変わらずサウナ、水風呂を繰り返し、のんびり体を休めた。

夜に、家に帰ると隣の家に住む義祖父と合流し、
昨日と同様、食卓いっぱいのご馳走と毎度のお酒を頂き、楽しい夜を過ごした。

Day187:2013年5月25日】会津若松へ

図々しいにも程があるな、とは自覚しながらも、
相も変わらずゆっくり目で朝は始まった。

初日に嫁が「馬刺しが食べたい!」と我儘言ったものの、
スーパーで手に入らなかったこともあり、
この日は会津若松に馬刺しを食べに行こうということになった。

馬刺しと言えば、全国的には熊本が有名だが、
嫁曰く、福島でも馬刺しは特産らしい。

この日は義祖父も一緒に義父母と5人で車に乗って出発する。

会津若松は、ちょうど大河ドラマ「八重の桜」の舞台になったということもあり、
多くの人で賑わっていた。

数年前、家族で米沢に行った時も大河ドラマの舞台になったと盛り上がっていたが、
大河ドラマの影響と言うのは凄いなと改めて感じた。

そして、それと共に、
ブームが去った後どのように観光を維持していくかは難しいだろうなと、考えてしまった。

ちょうどお昼時、馬刺し料理屋に到着した。

横には市役所がある。
そういえば、数年前、中高の友達が、好きな人の側にいたいと、会津若松市役所に転職していった。
東京で働いていた彼のその決断には、凄いなと友達ながらに感心した。
この日は土曜と言うこともあり働いているということもないだろう。
結婚した彼らは郡山で新生活を送っていたため、ばったり会うこともないとは思いながらも、
ここら辺で働いてるのかなぁと思いめぐらせながらあたりを眺めた。

昼は馬刺し料理と馬肉のカツ丼を頂いた。
やっぱ、日本料理は世界一だ。
久しぶりの馬刺しと初めての馬肉のカツ丼美味かった。

食後は、会津の酒造を見学した後、ミーハーの波に乗って、八重の生誕地を見てきた。

帰りには、義父が気を遣ってくれ、少し寄り道して大内宿に寄ってくれた。
夕暮れ時でもうほぼ全ての店は閉店間際だったが、日本の宿場町の風景は心和むものがある。

大内宿は観光地化され過ぎているが、
ああいう昔ながらの街並みを再建するという試みがもっともっとあっても面白いかもしれない。

後日、facebookに大内宿の写真をアップしたら、
海外からの反応が結構あったのが印象的だった。
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その後、僕が小さい頃にキャンプに行ったということで羽鳥湖を経由し、夕方白河に戻った。

日本最後の晩餐も、義祖父義父母と5人で食卓を囲み、沢山のご馳走とお酒と共に楽しく過ごした。

Day188:2013年5月26日】再出発の時

今更、早起きすることもなく、いつも通り目を覚ました。

今日は17時成田発の便で日本を飛び立つ。
そのためには、15時には空港に着いてなくてはなくて…と逆算した結果、
11時台の新幹線に乗って東京に向かうことになった。

日本最後の朝食を食べる。
米に味噌汁とか魚とか納豆とか漬物とか、やっぱいいなぁとしみじみする。

そうこうしているうちに、出発の時間は近付く。

義祖父とは、家を出る時に、お別れの挨拶をする。

「また年末に来ます。」
思えば年に2回も田舎に帰ってれば、普通に帰ってきてるほうだよな、なんて思う。
東京にいるか、世界のどっかにいるのでは違うのだろうけど、なんてことはない。

駅までは義父母が送ってくれた。
いつも東京に帰る時と変わらない別れだ。

ただ、バックパックを背負っているということだけが違う。
ぬるま湯に浸かった日本での一週間とさよならし、再度次の6カ月に気を引き締めた。

東京駅に着いてから、成田行きのバス停を目指す。
空港行の格安バスの知名度なんてそんな高くないだろうと思っていたが、
行ってみると長い行列が出来ていた。

予約なしで乗れるか不安になりながらも、ギリギリ滑りこむことが出来た。
次の6カ月の旅に向け、いい感じだ。

成田に着き、チェックインをすます。

チケットの都合上、カルガリー、ロサンゼルス、ヒューストンと3回乗り継ぐが、
13か国目のメキシコはすぐそこだ。

さて、残り6カ月の新婚旅行、楽しもっと。

17時定時に、飛行機は成田空港を出発した。