せっかくスペインに来たんだから、闘牛を見ておこうと思っていました。
闘牛はスペインの伝統的な競技です。
ただ、近年は動物愛護団体からの強い批判もあり、
賛否両論があるのも耳にしていました。
もう少ししたら見れなくなってしまうかもしれない。
その前に、一度批判にさらされていることは認識しつつも、
この目で実際に見ておこうと思ったのです。
その為、スケジュールを確認して、
グラナダからトマト祭りのバレンシアまでの間に、
マドリードに寄って闘牛を見てきました。
闘牛の流れは地球の歩き方曰く、大きく6つに分けられます
1.闘牛士たちの入場
ファンファーレと共に、
マタドール、ピカドール、バンデリーリョの順に入場してきます。
出演者は3つのチームに分かれ、それぞれ2回ずつ演技を行います
2.牛の登場
誰もいないアレーナに牛が登場します。
助手たちがカポーテ(表がピンク、裏が黄色の襟付きマント)を振り、牛を誘います。
この間に闘牛士は、牛の状態を観察すると言われています。
3.ピカドールの場
ピカドール(槍方)が馬に乗って登場します。
牛が馬の右わき腹をめがけて突進するように仕向け、ぶつかる寸前に牛の首根を槍で突きます。
4.バンデリーリョの場
バンデリーリョ(銛旗士)が髪飾りの付いた短銛を牛の背に打ちます。
2本ずつ3回、計6本。
5.ムレータの場
マタドール(闘牛士)が登場します。
約15分後に牛を仕留めるまで、ムレータ(赤色の杖布)と剣を使って演技をします。
6.真実の瞬間(仕留め)
牛の肩甲骨の間わずか5㎝の急所に剣を突き刺します。
この際、苦しまずに一瞬にとどめを刺すことが見事とされているようです。
でも実際は、マタドールが刺した後に、短剣で絶命させる役目がいるのです。
これが合計6回行われるのです。
実際に見た闘牛は、ショックでした。
拍手なんてできませんでした。
ショックなのは、特にピカドール登場の場面から。
ピカドールが牛に槍を刺せば、当然牛は血だらけに…
しかも、牛は馬に突進し、馬を横転させ、
なお馬を突き上げようとする姿は、牛、馬ともに痛々しい姿でした。
そして、バンデリーリョが銛を打つシーンでは、
血が流れている中、更に追い打ちをかけるよう。
最後、マタドールは、ムレータを使って演技をするわけですが、
その時点で、牛は血だらけ、息は相当あがっていて、
なんだか一方的に遊ばれているような様相を呈してきます。
およそ15分後、仕留めの瞬間が。
一思いに殺すのも残酷なのですが、
中々急所に剣を刺せないと何度も何度も剣を刺して、
それはそれは痛ましい姿でした。
闘争心を失った牛に、刃を立てる闘牛士。
何とも残酷な姿でした。
一度刺された牛が立ちあがったシーンの方が、よっぽど感動的でした。
最後の最後。
息絶えた闘牛は3頭の馬に引きずられて闘牛場から姿を消します。
素晴らしかったマタドールは賞賛を浴びます。
白いハンカチを振るのが伝統ある賞賛の証拠だそうです。
小さな子供も喜んで振っていました。
結局、6回全てを見ました。
これは知らない人に伝えなければと思い、ただひたすらカメラを構えるだけでした。
今の時期は日曜日だけのイベントですが、シーズンの時には毎日闘牛があるらしいです。
1ヶ月の間に200頭弱の命が失われるかと思うとなんだかやりきれません。
マタドールが命をかけた立派な職業とはいえ、
わたしは闘牛が1日でも早く禁止されることを望みます。
コメント
闘牛の様子を伝えてくださりありがとうございます。
動物の命を奪って生きている人間だからこそ、その命を奪う瞬間こそは動物に対する感謝と敬意を持たねばならないと思います。
牛の命を奪うという点では、最近は「いのちの食べ方」「ある精肉店のはなし」といった食肉加工を題材とした映画もありました。
しかしその職人たちの仕事は、一瞬で牛を倒し、苦しみの時間をなるべく短くして、食肉に加工する。一方闘牛は、牛に苦しみを与え、いじめあげて命を取る。そこが大きく違うと思いました。
闘牛で殺された牛は食用として売られるそうです。無駄にはしていません。闘牛はスペインの伝統文化です。バルセロナでは2012年から禁止されたようです。
我が国で鯨を食しているのも食文化です。
結果的に食用にされるからいいのか浅はかすぎるだろ?カニバニズムも肯定しちゃうのか?頭大丈夫?
なんで関係ないカニバリズムをもってくるのかよくわかりませんね。
私は日本人です。
クジラやイルカを残酷に殺し食することが我が国の文化だとは微塵にも思っていません。
誇りに思うどころか、世界各国から日本を批判され日本、そして日本人の恥だと思っています。
私はイルカ肉もクジラ肉も食べません。
こうゆう日本人もいるのです。
ですので、ひとえに食文化と言われるのには意義があります。
スペインの闘牛も残酷極まりない酷い代物です。
これを文化だと言うのならば、スペインも日本と同様、他国に恥をさらしているようなもの。
時代を考えてください。
今は戦争時代じゃありませんよ。
時代を考えるって…
戦争時代だからやるんですか?
>クジラやイルカを残酷に殺し食することが我が国の文化だとは微塵にも思っていません。
ザ・偽善者ですな。西洋人がキーキー言わなければ、そんなこと考えもしなかったくせに。
サメやマグロを獲ることは良くて、クジラやイルカは駄目な理由はなんですか?
あなたは単に西洋人に踊らされてるだけの愚か者ですよ。
早くに廃止してもらいたい事、犬猫食と闘牛です。変革しなきゃならない文化は他にもあるのですが動物愛護もその内です。貧困と娯楽が織り混ざった様な文化の中で生活している人々に新たな仕事を斡旋すること、安定と安全性のある環境を整える事でこちらの新たな仕事の方が幸せだと気付いて実感し生まれ変わって心からいい意味での観光名所になればいいとそう願います。もうそろそろと法律に違法が可決する場合には良い方向で進めて頂けるといいのですが…。そうして思った様な良い報告も同時に入ってくるならば、それはとても動物も人にも勿論良い兆しの幕開けなのです。
上の意見に禿同。
ひとつ質問なんですが
昔の人は野性動物を貴方が残酷だとおっしゃっている方法(槍などでじわじわ弱らせる)で狩猟していたとおもうのですがそれはどう思っていますか?
確かに、闘牛は残酷かもしれません。ですが、スペインの伝統文化。これは大事にすべきだと思います。日本にも闘犬、闘牛はあります。これも大事な伝統文化です。動物愛護団体の人達は、伝統を伝えていく事の大切さをしらないのでしょうか。疑問です。
単なる動物虐待を「伝統文化だから大事にすべき」といいきるなんて、あなたは動物の命をなんだと思っているんですか?
私は2つ上のコメントに同感です。
JUNJUNさん、あなたは偽善者ですか?これはスペインの伝統文化ですよ?
それに残酷だと知っている癖に見に来といて「早く禁止されるのを願います」とは何様ですか?これで可哀想と思うのならば、殺処分されてしまう日本の犬猫はどうなのでしょうか?闘牛で苦しむ牛の数よりも殺処分で苦しむ犬猫の数の方がずっと多いはずです。
文化とはいえないかな。ゲスな娯楽だが、なくせというほどのもなのではない。人間の残虐性を促進するなら無くせ。
エスキモーの捕鯨は文化だ。ただ、日本のやつはメシの種として不要だから、捕り方変えてもいいかな、って思う。
処分される犬猫の数との比較… 全くの無意味。
娯楽で命を奪うことには嫌悪感しか無い。
私釣りをします。釣った魚を絞めて食べます。日本の鯨やイルカを反対するはオカシイ。テレビでライオンが獲物を殺し食べます。農家は作物を育て刈り取りする。動物、植物、皆一生懸命生きております。イルカ、鯨だって小魚を食べている。反対しているお前らさえ生きている物を殺させお前自身が生きている。何が残酷だ皆同じ事をしている。
日本語お上手ですね(*^-^*)
牛がかわいそうだと私も思います。
血だらけで弱々しくなった牛を見て何が楽しいのか。
全く理解できない文化です。
種族が牛だから、こう言う事が許されるだけであって
人間が同じようにされていたら、見ていられない人も多いと思います。
なんにせよ、痛ましいと思う気持ちが間違っているとは思いません。
毎日食べているお肉もお魚も、生きていたもの。
踊り食いを平気で出来るのを、ぞっとする外国人も間違っていないし
おいしいと食べる日本人も間違っていない。
文化って色々あると思いますが、私はお肉もお魚も食べますし
同時に闘牛を痛ましいと思い、犬を食べる食文化を受け付けられません。
矛盾していますが、必要以上に残虐なものをいけないと思ったりすることも大切だし
「文化だからいいんだ」と思い込むよりも、疑問を感じることも大切だし、「他国の文化を尊重する」事も大切だと思います。
何事もバランスが大切で、過度な残忍さや、過度な正義感は毒だと思います。
格好いいじゃん、闘牛。
それ以外の理由なんて特に必要無いと思いますがね。
むしろ、何でもかんでも自分が気に入らない物は無くせ!と主張するのは如何なものかと思います。
私も闘牛は好きですね。よくYouTubeで有名闘牛士の試合の動画映像を見ます。
スペインが誇る芸術文化である闘牛を残酷とか野蛮とか批判する奴ってのはさ、日頃自分のケツの穴からひねり出した糞すら見ぬ女が言う戯言なんですよ。
スペイン闘牛を批判する奴、動物を殺すなとかいう、救いようのないバカ共は、肉を食う資格なし、革製品を持つ資格なし!
そんな奴は一生、化学合成サプリメントだけ食って生きていけばいい。
闘牛禁止を訴えるバカって本当に低能だよな。
普段自分の手を血で汚すことなくうまそうに牛肉を食っているのに、
いざ自分の目の前で牛が殺されているのを見ると、残酷で牛が可哀想だから闘牛に反対って、虫のいいことを言うんだから。
> 処分される犬猫の数との比較… 全くの無意味。
犬猫の殺処分は、大半が飼育できないから売れないから等が理由で、その数は年間20万頭近く。
伝染病対策などを除き、飼い主(人間)の行動に社会的意義と呼べるようなものは全くない。
対して、闘牛は長い歴史の中で生まれてきたという側面がある。
当時の状況を形にしたという意味で、歴史的文化的な意味があると思う。
そういう観点で、数を比較することは闘牛に対して失礼だし、比較は全くの無意味と思う。
ただ、どちらが人間のエゴかという観点の比較なら、断然殺処分であって、比較に意味はあると思う。
それでも、今の時代、いつまでも残酷な闘牛を続けて良いとは私も思わないが。
人間を殺しているのでない限り他所のことに口出しすることないと思う。残酷とか野蛮とか言っているけど、結局は自分が気に入らないことは他人にもするなということだろう、自分の考えは他よりも優れている?
人によって感じ方が違うのは仕方ないですが、こう命を張って懸命に戦う姿は感銘を受けるものがあると思います。
少し違いますが、剣闘士の話で映画や小説などがありますよね。
ああいったものも確かに残酷な面が目立ってしまうかもしれませんが、何かしら心を突き動かされるものがあるのでいくつもの作品になっているのではないでしょうか?
素晴らしい記録写真拝見しました。有難うございます。
その文化に馴染まないものには残酷に見えても、それを誇りとしてきた多くの人たちがいる。故に300年続いたわけです。牛を弄んでいるようとのコメントがありましたが、マタドール達も命懸けだったことでしょう。
自分の手を汚さずに食物を得、血を見慣れていない者が己の主観だけで残酷呼ばわりするこはやはり、偽善者としか言いようがないですね。
マタドールも命懸けだったことでしょう➡︎だからなんなんでしょう?人間は自分でやりたいからやってるんでしょーよ。お前が選んだだけだけ。
たまたま偶然にもこちらのブログを拝見。貴重な闘牛の写真を見せてもらった。
「牛がかわいそう」というのはもっともな事、まっとうな感情だと思う。でも、自分もこれをやってるんだという事実は認めないといけないと思う。しかも自分の手は汚さずに食肉処理場の人にやらせて。
牛や豚、鶏はパックされた「切り身」ではない。
昔ちょっと考えてみたことがある。スペインの闘牛場でブスブス刺されながら殺されるのと、食肉市場で瞬間に殺されるのとでは何か違いがあるのだろうかと。人間から見ると大いに異なっているようにも見えるが、牛本人にしてみれば大して違わないのではないのか?
人は人一人分、地球上の生命を破壊しながらでないと生きてはいけない。残念ながらそれが現実のようだ。
子供の歌で「トレロ・カモミロ」というものがあります。自分の知っている範囲で闘牛の説明を子供へ伝えましたが、実は闘牛を詳しく知らなかったので、検索してこちらのサイトを拝見させていただきました。
私にとっての闘牛のイメージは、ピカソが愛した「マタドールの姿」で
完全に無知でしたので、闘牛の儀式に驚きました。
スペインでは、闘牛として最後まで戦った牛が食卓にとの事。
日本では、牛舎に住まわせられビールを飲まされ、体を叩かれた霜降りの肉(牛)が高級牛として食されますね。
日本の文化を知らない外国の方々が、食卓にあがるまでの日本の牛の一生を動画で見たら、それもさぞかし残酷に映るのではと思いました。
このブログの主は、スペイン全土で闘牛が廃止になれば失業者があふれることはもちろん、国中のリディア種の牛【toro de lidia 闘牛用の牛】が全頭廃棄(殺傷)処分になる可能性があることを分かっているんだろうか?
牛が生かされているのは闘牛文化のおかげ。そして
リディア牛は闘牛用に作られた牛、闘牛文化が無くなればその血統を絶たれ、滅びるだけになる。
牛が可哀想だから闘牛反対とか禁止などと言う奴は、だったらそいつがスペイン中の牛を全頭買い取ってすべて自分で面倒見てやればいいと思うよ。
ちなみにスペインでは闘牛場で闘牛禁止を訴えると警察につかまって逮捕されます。
このタイトルをYouTubeで入力して検索すると闘牛禁止を訴えて、堂々とアホ面晒している男性がアップされます。
↓
Espontáneo antitaurino salta al ruedo de Cáceres.
https://www.youtube.com/watch?v=ZeaRICF6FrQ
Cuadrilla de Morante golpea a un antitaurino
https://www.youtube.com/watch?v=ZOhQ2x3Ldcs
闘牛禁止を訴えたり、反対を訴える奴は 所詮シーシェパードと同レベルの確信犯。
異文化に対する理解の無い連中です。
こういう馬鹿は闘牛禁止を訴えて 警察に捕まっても、自分が悪いことをしただなんて微塵も思わないんでしょうね。
闘牛文化を否定する奴はその辺の草でも食ってろ!
闘牛は難しい問題ですよね。文化保護的な観点で言えば、もちろん長い歴史を持つ独自の文化ですから、完全になくなってしまうのも寂しい気がします。私は少しスペインで過ごした経験があるのでまさにスペイン人の気性がこの文化を育んだことがよく分かります(笑)それに、闘牛たちはその後スペイン人の食卓に並びますから、無意味に殺しているわけではありませんしね。
ただ、確かに時代は変わり人々の娯楽が増えてきた中で、殺しを見世物として続けていくのも、どうかと思います。確かにその後食べられるのですけど、やはり動物が死にゆく姿を眼の前にして拍手喝采を送るというのに違和感を覚える人たちも多いと思います。畜殺場で喜ぶ人は稀ですよね、きっと。もちろんマタドールの勇気には拍手なんでしょうけど。もうこれ価値観の違いですからどうにもなりません。
それと、筆者さんが動物愛護的な観点で話されているので、闘牛賛成派の方々が反対するのもよくわかりますが。筆者さんはご自分の価値観から、闘牛のリアルに残酷性を感じて、それを伝えようと自分の意見を述べただけですから、あまり責め立てないであげてくださいね。文化を尊重する方々も素晴らしいです。しかし残酷性を伝えようとする人たちもまた間違っていないです。個人的には、文化保護の観点から完全に廃止ということではなく、でも基本的には規模が縮小していき、もっともっとレアな見世物になる、というのが自然な歴史の流れに感じます。
近隣諸国に犬を食する文化がある
近代まで人肉を食した文化もある
我が国でも独自の食文化がある
他国や他民族の文化を批評するが
それを決めるのは当事者達であって欲しい
その歴史の中に生きていなかった人達の
価値観の押しつけで変らないで欲しい
存続であっても・・廃止であっても・・
昔、「黒い牡牛」という映画があって、私はその頃10歳位だったと思うが兎に角感動した、のを覚えています。スペインでのある少年と子牛が幼い頃より育ち、子牛が大きく育ち闘牛ウシとして闘牛場へ押し出されて、、その頃は闘牛場は人気一杯でマタドールとの ある意味では一方的な戦いでウシも健闘したのですが、その闘いぶりが多くの観客に称賛を呼び起こしたのか、今で云う「スタンディングオペレーション」様の喝采により最後の、刀に依る殺傷を免除される、と云う結幕で観衆の一人であった少年が、闘牛場に駆け込み血まみれのウシの首に腕を巻きつけ場外へ導いて行った、、と云う筋書きの映画でした。
当時スペインという国は何と野蛮な国だな、と思ったものだ、、、
唯それだけの話です。3,4年前スペインへツアー旅行で闘牛場跡?を見物に回ったけど、何か小さく寂れて時代も変わったなーと思ったです。
その映画は英語タイトルで「The Brave one」のことだろ?
あれはスペインではなくメキシコが舞台ですよ。
実際の闘牛でも牛が死を免除されることもありますよ。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=CI5r6uSzcXg&NR=1
スペインの闘牛場では闘牛士が観客へ名誉の褒賞の牛の耳をプレゼントすることがある。この国の人や子供たちはやっぱり日本人とは違うんでしょうね。
https://www.youtube.com/watch?v=T0TZYIRL24Q&feature=related
思考停止偽善者連呼兄貴ホント頭悪そう
まあ確かになぶり殺しってどうかなと思うけど、嫌なら見るなでいいんじゃないか。
「うーん、思った以上に残酷でした。私はもういいや。牛も辛い運命だねー」くらいが普通の感覚なのでは。
実際にはどんどん規模が小さくなってるとはいえ、地球の裏っかわの民族の文化をやめさせろってのはやっぱり傲慢ですよね。
私は肉も魚も食べない、卵や動物の油や牛乳なども食さないビーガンです。ペットも飼っていません。動物を買う人がいるから、売る人がいる。闘牛を観る人がいるから、する人がいる。 この循環がなくならない限り問題は解決しない。
(殺傷処分される動物を保護するのはまた別ですが)
犬、猫の殺傷処分反対、闘牛反対をするなら、最初にこちら側から やめなければ終わらない。
闘牛を観に行っておいて反対するのはおかしいですよ。あなたが払った入場料は、あなたがやめてほしいと思っている闘牛士の給料になったり、闘牛を育てるために使われたり、闘牛場を維持するために使われるのだから。
なら、あんたがスペイン中の牛を全頭買い取って自分で牛の面倒みろや!
話の論点があってなさすぎて意味がわからない。
お前頭おかしいだろ?
難しい問題ですね。
牛が一方的になぶり殺しにされているように見えてしまえば、やはり眉をひそめたくなるのもわかります。私もお肉もいただく一方で、動物の死を見れば嫌悪感を抱く(矛盾してる?)ごく普通の日本人です。
でも民族には、国にはそれぞれの伝統や気質(広く言えば文化といってもいいのか)があります。鯨は知的で文化的な動物だから捕らえて食すのは蛮族の所業だと言わんばかりの欧米人の言い分には正直反感を覚えます。もっとも実際には今では鯨を口にすることは滅多になくなりましたが。そもそも、イルカを含むハクジラ類とヒゲクジラでは脳の発達は随分差があるようですね。知的に高等だから食用にしてはいけないという論法も少々変ですけれど。
現実問題としてサッカー人気におされて闘牛愛好者の数はスペインでも明らかに減少傾向にある由、かつてはTV中継もありましたがもうありません。マタドールだって命懸けで実際に死亡事故も起きています。牛を見事に仕留められなければ警察に一晩留置されるということもあるようです。
我々が声高に主張しなくてもスペイン式の闘牛は段々と衰退してゆくのではないでしょうか。
殺牛ショーと呼んだほうがよさそうですね。
人が狩りをしてきたといっても
これを見て楽しむのは何か違いますよね。
飼って育てた牛をなぶり殺しじゃないですか。
見て楽しむものじゃないなあ。
じゃあ、釣りも一緒ではないでしょうか?
釣り上げるまで引きを楽しむのもそう変わらないのでは?
競馬も勝負のためにムチでしばかれてますよ。
食肉用の牛も、無理に飼料を流し込まれたりします。
その辺はどう考えますでしょうか?
嫌なら見ないのも方法ですし、他の方も言ってましたが、そんなに可哀想なら、闘牛の救済基金でも設立して、自分たちで面倒みてはいかがでしょうか?
それより闘牛という文化をやめさせる方が簡単だし最善策だよ
個人的には理解できないし牛はかわいそうだと思うけど
だからといって闘牛好きな人や楽しんでる人の人格を感情的に否定するような発言はどうかと思いますね。
そうだね、自分にはこの文化が理解できないからと言って、将来闘牛士を目指す少年たちの夢を奪ってはいけないね。
スペインのサラマンカで闘牛士を目指すちびっ子たちの映像。↓
SALAMANCA 11/09/14 Tentadero Escuela Taurina de Salamanca
https://www.youtube.com/watch?v=n_9vz6LWltM
闘牛士を目指す青少年たち、
Eres Torero, Julian Lopez “El Juli” (お前は闘牛士だ!エル・フリことフリアン・ロペス)
https://www.youtube.com/watch?v=ZcMF26w-Bc0
この映像でスペイン語が分からない人でも、彼らの自分の夢に向かってひたむきな姿勢くらいは理解できるのではないだろうか。
もし仮に、自分らより科学力が優れた宇宙人がきて人間を支配したとする。その支配した宇宙人は、支配した物を好き勝手するのが伝統だからと闘牛ならぬ闘人をはじめたとき、偽善者とか闘牛に肯定的だった人は、なんていうんだろうな。断っておくが闘牛は自分は反対ではないし、伝統なら残っててもいいんじゃないかと思ってる。ただコメントで、偽善者とか伝統だから口出すなって言ってる連中がいざ自分がその立場になった時なんていうのか興味があるわ。まさか自分がその立場になったら、180度意見を変えないよな?偽善者と叫んでる奴らの方がよっぽど偽善的なんじゃないかと穿った見方をしてしまうわ
一つ一つが全く現実から離れた、と言うよりありえないたとえ話だ。まじで話せ。
別に宇宙人じゃなくても、自分より幾分力の強い人間に支配されてる状況と考えればいいんじゃない?
全員に当てはまると思っていないが、
こんな文化をなくすべき!とコメントした人は潜在的に生き物を殺すことを楽しみにして欲しくないと願っていると思う。
しかし、現地の人にとっては誇り高い伝統文化なのである。
だから、頭ごなしに反対するのではなく、なにか歩み寄れる点を探している人も多いと思う。
私の考えだが、
・もし闘牛を神聖な文化として、闘った牛たちの魂を尊び祈りを捧げるなら、残してもいいのではないか?
・それか、伝統の側面を減らしてスポーツとして牛に負担の少ないルールに変えるのならそれもよいのではないか?
あくまでもスペイン人が決めることなので、口出しはするべきでないと考えてるが、このコメントを読んでいる皆はこの2つの案なら良いと考えるか?
一番言いたいのは一方的に悪いと言うのではなく、相手の文化が如何様にして生まれたか背景を知った上でお互い歩み寄る場所を見つけられるよう努力することではないか?
確かに文明人なら他国の文化背景くらいは知っておくべきだと思う。
それに闘牛好きで知られるピカソやヘミングウェイもそれを望んでいると思うね。
過去(中世)の栄光にすがって、前に進めない国の人たち。
こんなことでしか自分たちの栄光を確かめられないから
周りにバカにされるような時代遅れな祭りをずっとやっちゃうんだろうな~ッと、
文化は認めるけどそれをやってる人・国を批判するのも自由やろ。実際時代遅れなのは事実だし。まぁどこの国にもちらほらそういうのはあるけど闘牛は顕著でしょう。
ヨーロッパ“後進国”の最大の強みは、
シリア難民が殺到しないこと。マンガ「キングダム」の言葉を借りるなら、難民の集団はまさに“イナゴの群れ”
もしスペインがヨーロッパ最大の先進国であったなら、ドイツのように難民が殺到し、国民の税金がイナゴ共に食いつくされていた事でしょうな。
それに動物愛護“愛誤バカ”先進国のドイツやイギリスはやたらベジタリアンが多く、ヨーロッパの中でもかなりメシのまずい国の一つに上げられるだろう。
ヨーロッパ先進国の国民はかなり偏見的思想で異文化に対する理解の無い狭量な人達がすごく多いと思うね。
先日、初めて闘牛を見てきました。最初はとても牛が可哀想で、どうしようかと思ったのですが…
やはり、血だらけになって息を荒げて、辛そうな牛を見るのは心が痛みます。
ただ私は、人々が何故闘牛をこんなにも楽しみにしているのか考えながら見てみました。命懸けで闘う闘牛士、いかに美しく牛と闘うか。そしていかに苦しめずに牛を仕留めるか。健闘した牛にはその健闘を讃え拍手がおこります。
観客は、ただ牛が殺されるのを楽しんで見ているわけではない。ピカドールが必要以上に長い時間牛を突き続けると「牛を必要以上に疲れさせるな」とブーイングが起こりますし、マタドールが急所をうまくつけないとブーイング。牛が苦しむのを見るのは皆嫌がるので、いつまでも仕留められないとそれはそれは大きなブーイングとなります。
私は闘牛を肯定も否定もしませんが、確かにスペインにいきづいた文化であり芸術なのだと思いました。同時に、命の奪われ方は違えど牛肉となり、私たち人間がその命をいただくことは変わりなく、闘牛を見たことで、食事をするときに「いただきます」という気持ちが一層大きくなりました。
通りすがりの者ですが、
『と、ある日本人より』の
ご意見、私も同感です。
何が正しいか、で対立してしまうではなく、
お互いの視点や都合を知った上で少しずつ折り合いが
重ねて行くのを願います
傍観、偽善かもしれませんが、、、
闘牛をリアルで目の当たりにし、スペイン人の闘牛士に対しての賞賛の中にいながらも牛が可哀想だと思い禁止を訴える筆者に拍手を送りたいです。
食肉になるから無駄ではないというコメントがあっても、私も筆者と同じ、やり方に問題があると思いました。
直接見たことはないですが、いくら伝統と言っても目の前で一方的に牛が惨殺され、それを称賛するスペイン人は頭おかしいとしか思えないです。
闘牛士も命がけでやる必要ないです。
こんな文化はいち早く廃止させるべきだと思います。
指摘している人がいないようですが、
実はしかし、今も昔も闘牛はガチではなく、ほぼショーです。
プロレスと同じですよ。
昔は事前に適度に槍で突いて、今は薬品を使った十分弱らせてから闘牛を行います。
それでも、闘牛士が返り討ちにあって死ぬ事もあるので、大変です。
こうやって苦しませてお金にした後に、無駄無く食料にする。
これは人間でしたらどうなるのでしょう。
私は嫌です。
牛を使うよりやりたい人間にさせるのも一つ。
闘牛ファンとしてはバルセロナで闘牛が廃止されたと聞いてガッガリでした。以前バルセロナでは二回、マドリッド、セビリアで各一回観戦しましたが、セビリアとバルセロナの闘牛場は小ぶりで近くで見られて良かったのに。その時は闘牛を見る為に1ヶ月間スペインにいたようなもの。
廃止などとんでもない。嫌な人は見なけりゃ良いだろう。人の楽しみを奪うなと言いたい。
これ西洋人がやってるから伝統文化だとかロマンだとか白々しく言うやつらも
もしアフリカの部族がやってたら、てのひらクルーっとひっくりかえして、素直に「土人の残酷ショー」っていうんだろうな
そういうクズっぷりが透けて見えるからやなんだよ
屠殺場に連れて行かれる豚は涙を流し、牛は力いっぱい踏ん張って嫌がるという
屠殺場では生きてるうちに喉を割いて血を抜いてるお陰で、美味しい肉が食えるんだかな。もちろん鎮痛剤や麻酔は使わない。肉に混ざるから
だというのに捕鯨は批判してオージービーフ売ってる連中と同じ種類の厚顔無恥さ
あるいは人間の飼育という娯楽で無責任に増やされて殺処分される犬猫の為に何かはしたか?その自分の中での線引きは何か良く考えてから動物の生死に口出ししろよ
屠殺場に連れて行かれる豚は涙を流し、牛は力いっぱい踏ん張って嫌がるという
屠殺場では生きてるうちに喉を割いて血を抜いてるお陰で、美味しい肉が食えるんだかな。もちろん鎮痛剤や麻酔は使わない。肉に混ざるから
だというのに捕鯨は批判してオージービーフ売ってる連中と同じ種類の厚顔無恥さ
あるいは人間の飼育という娯楽で無責任に増やされて殺処分される犬猫の為に何かはしたか?その自分の中での線引きは何か良く考えてから動物の生死に口出ししろよ
これで闘牛見てないなら格好良かったんだけどね
自分は6回も見て満足したからもう廃止していいよって言ってるようにしか聞こえませんなw
需要があるから闘牛が行われる以上金を払ったと言う事はあなたも加担したという事ね
無知ならともかく批判があるのを承知で見て金を流してちゃ何も言う資格はありませんな
素晴らしい記事ありがとうございます。私も筆者の考えに同意です。
闘牛は残虐で見ていて苦しく、人間の娯楽のためのものとしか感じません。文化や伝統の問題ではなく明らかな動物虐待です。
闘牛だけでなく、世界中では多くの動物虐待や売買などが行われています。
人間は理性を持つ生き物です。世の中の殆どの問題がお金で解決するように闘牛という文化を無くすのも結局お金でしょう。
「そんなこと言うなら見なきゃいい。」とか「じゃあお前は肉を食うな」とのコメントが沢山ありますが、それらは論点がズレています。
家畜の牛でも豚でも痛みがあって殺されることは間違い無いです。しかし、それは人間の娯楽のための行為ではないのです。
日本でいうと犬猫の殺処分または競馬なんかも人間の自分勝手な行為の結果起きているものです。
また、鯨やイルカ、犬など食べる文化についてもハッキリさせたいのですが、こちらも人間の自分勝手な行為の結果です。
「食べられる物は金になるから売り捌こう」と考える事は普通であり、結局そこでもお金が全てなんですよね。お金の為ではなく文化や伝統だけの為に行われているのならば、とっくに消滅しています。
しかしこのような文化や行為を禁止しようと声を上げても、人も国も動かないでしょう。稼げるので。
闘牛に関わらず、このような動物への虐待は大変難しい問題ですね。
コメントを全て拝見し、筆者への批判が多くあったことに驚くと同時に大変悲しくなりました。日本人はここまで動物愛護が遅れているんだなと。
結局は動物をどのような視点で捉えているか。
「動物を使ってお金を稼ぐ。」という行為を行う人は共存できていません。
ペットショップの社長や従業員も「動物が好きだ」と言っているでしょうが、全てお金の為であり偽善でしかないです。
共存という考えを持っていれば、人間の娯楽・お金だけの為の動物使用は絶対に起こらないと思います。
文化だから口出しするなとかの問題ではないです。
どうこう言っても解決するのは難しい問題ですが、無駄な虐待や殺戮が無くなることを願います。
Twitterで、闘牛を止めさせるためのキャンペーンに署名をした関係で、こちらを読まさせていただきました。
元々闘牛には反対でしたが、こちらを読んで、ここまで残酷だったのかと改めて驚いています。
一刻も早く無くなって欲しいです。
辛い内容ですが、現実を伝えて下さってありがとうございます。
「今は薬品を使った十分弱らせてから闘牛を行います。」
それは知らなかった。
動物が弱って死んでいく様子を見て楽しむ感覚はないな
苦しんでる様子が楽しくてしようがない奴らもいるようだが
「屠殺場では生きてるうちに喉を割いて血を抜いてるお陰で、美味しい肉が食えるんだかな。」
ハンパな知識で語っているな
電流で脳死状態にするか、あるいは二酸化炭素ガスで仮死状態にして銃みたいなもので打ち抜いたり仮死状態にしてから処理を始める
昔は反対に宙づりにして喉を切って血を抜くってやっていたがそれのことしか知らないんだろ
「自分は6回も見て満足したからもう廃止していいよって言ってるようにしか聞こえませんなw」
うがった見方しかできないクズ
食肉処理は出来るだけストレスがかからないようにして、瞬間的に絶命する方法が使われる
それと比べると闘牛は殺すまでが長いし、どう見ても楽しんでいる
牛との真剣勝負なんて体のいいことを言っているだけで、牛が生き延びることはない
魚釣りもまず口の中に針が刺さるわけで見ていていいものではない
娯楽でやるのはわからない。漁師が食のために業務的にとっているので十分
マグロなどは船の近くに来たら電気ショックで気絶させる。暴れて体内に充血させないためだが
食にするためには何でも苦しませず早く絶命させるべき
伝統だからオッケーなら、人柱とか生贄文化も復活させて災害が起こらないように祈ろう!!
え?伝統だから良いんでしょ?
残酷だからダメなんて言わないでしょ?
自分も同じ目にあってみろ
伝統だからと殺さてみろ
自分は安全な立ち位置いるくせに、それらを強制的に排することに責任を持てないなら批判する権利はない。闘牛文化によって生活している人がいる以上、その人達に変わりの仕事を用意できるなら存分に主張すればいい。
「伝統」という言葉はブラックボックスです。この言葉を使用することで、何でも理由付けができてしまいます。一緒の思考停止用語です。実は近年に創られた伝統も多いのに。
闘牛に関しても、バルセロナに住むカタルーニャ人が言ってましたが、これはカスティーリャ人の伝統であって我々カタルーニャの伝統ではない、だそうです。何かと反目しているカタルーニャとカスティーリャですが、ここでもまたそれが表れています。カタルーニャに闘牛反対派が多いのも納得です。
だからスペイン全土の伝統だなどとは言えません。
ボクサーたちは好きでボクサーになって自分の意思で殴り合っているんでしょう。牛は違う。一緒にするのはおかしい。
私は闘牛自体に対しては、反対ではありません。観衆は命を懸けて挑むマタドールに拍手を送るのであって、牛を虐待することが目的ではないでしょう。
残酷だというのならボクシングだって同じです。たまには命を落としたり、一生不具になるリスクを負って、ボクサー同士が全力で殴り合うのを見物する野蛮な娯楽です。これも禁止ですか?かわいそう、を基準に物事を決めていたらきりがありませんよ。
心配しなくても、そのうち自然になくなるでしょう。今のスペイン人は闘牛よりサッカーです。
色々な思惑が宗教へと結晶化して行ったのだと思いました。
レコンキスタなどの根底には残酷に対する思いが含まれていたのだと。
他文化を批評するのは分かるけど止めさせると行動に移すのは
いかがなものかと思ってしまいますよ。
見えないトイレの先の配管まできれいに出来る薬剤を買い求めてるようで。
見えないだけで満足出来ず、想像の先まで管理しようとしてるように感じてるよ。
美味しく改良された畜産での肉と偶々手に入ったジビエでは
普通な肉の方が美味しく感じてるけど?その為の改良が有った訳だと。
金魚は自然環境では生きられないらないんだ。
人間だって協力し合わないと生きていられないよね。
闘牛が牛の殺害という過程までを含めたショー(見世物)だというのは事実です。
ただ、それが沢山の人の心を揺さぶるというのも事実。
芸術であり、芸能なんですね。日本にも自分の意思で(?)たらふく食って鍛えた人間同士が半裸で闘う「国技」があります。出場者の体格は明らかに常人とはかけ離れており、平均寿命も著しく低いです。また女性は競技の場に上がることすら許されません。神聖な場が穢れると昔から考えられているからです。これも見方、感じ方は人それぞれです。
つまり、芸術芸能である以上その是非を問うのは野暮だと思うのです。
吐きそうです。
可哀想で。
文化と名付けた、人間の勝手で一方的な動物虐待です。
しかも、戦いたくない動物同士を無理やり‥。
そうせざるを得ない状態に拘束して、ただの弱い者虐めで、ただの残虐ショー。
ただの野蛮なサディスティック。
文化といえば何でもかんでも免罪符で都合良すぎ。
こんなものが地球上からなくなる未来を心底祈る。
同じ殺すにしても本当にやり方が酷くて見てられなかったです。
今はもう人が狩をしている時代ではないですからね。
現在行っているこれは、ほとんどただのなぶり殺しです。
かなり譲歩した目線で見るとグラディエーターという人対人で戦う映画が頭を横切りました。
ほぼ負ける方が分かっているのにわざと残虐に派手に客が盛り上がるやり方で殺して楽しんでいました。
まぁグラディエーターには盤面をひっくり返して、考え方を変えてくれる救世主的な人物が現れるのですが、牛じゃどうしようもないですね…。
これから先も人間にされるがまま高い確率で殺されていくのでしょう。
ただただ可哀想で悲しいです。
闘牛は面白い。
華麗なマタドールの動きと勇猛な牛との血湧き肉躍る戦いが闘牛の真骨頂だ。
野牛でもない限り牛はそもそも人のためにつくられた家畜で、どのような形で殺そうが人間のためになる。弄んでいるわけではない。人間なりの目的があってそのために牛の命を使っているだけ。
闘牛の是非とか、残酷さ、「文化」論には興味ありません。
私は単なる「旅行者」です。旅行者は行きたい国に行き、傍観者でいることを好みます。自分にとって不快であろうポイントにわざわざ出かけていって、ネットで(その残酷さを書くのは自由ですが)廃止アピールすることに違和感を感じます。
マドリッドはそんな訪問客には来て欲しくないでしょう。
バルセロナのような判断もありますが、通りすがりの異邦人に「禁止すべき」なんて言われたら……。
私は闘牛とこれに関わる伝統美が消滅しないことを願うばかりです。同時にマタドールの服飾、作法、何世紀も続いた伝統と歴史文化、これにまつわる美学まで消しさることがなんと悲しいのでしょうか。これはサウラやアルモドバル映画の否定でもあります。自分にとってそれは困る。非常に困る。
スペインの文化なんだから、まずはスペイン人になってスペインに住んでスペインの政治にちゃんと参加できるようになってから言えよ。日本であーだーこーだ言っても全く無意味。本当に闘牛やめさせたいんだったら、スペイン人と責任や義務を果たせるレベルにってから語ってくださいな。向こうでは伝統文化なんだから、日本人がわめいても、ただの正直無意味な内政干渉ですよね。
“無益な殺生”と“残酷の基準”で答えはまちまち。牛の殺戮を残酷と言うなら、チベット・ウイグルで起きてる人間の殺戮は気にならないのか?
闘牛のために品種改良された牛は、闘牛の廃止がそのまま種の根絶に直結します。反対派の人達はそこのところ理解してるのかな?
基本的に人間以外の生命って、増えることしか考えてないですよね。「牛の幸せ」なんてものが存在するかは知らないけれど、種の存続が生命としての第一課題だとするならば、闘牛がある限りそれは保証されてるわけで。最終的に家畜は人に利用されて死ぬのが定めなんだから、それまで大事に育てられてちゃんと子孫を残せるなら、それなりに幸せなんじゃないかな?
価値観は時代とともに変わっていきます。
古代では剣闘士ショーが娯楽だった時期もありました。奴隷が禁止になるまで長い年月が流れました。
人間に対する弾圧は現代でも完全になくなってはいませんが、人間に対してだけでなく動物に対する意識も変化してきています。
ある人が観ればカッコイイ!となりある人が観れば残酷なショー・・となるのでしょう。
賛否は置いておいてこういった話題になるとすぐにたとえ話を持ってくる人がいます。
たとえ話自体その人の価値観で捉え方がかわるものですから話が余計に複雑に、またはあやふやになるだけです。
すぐにたとえ話を持ち出す人は無自覚に頭の悪さを自慢してる人です。
どうしてそんな事をするのか謎で仕方がない。ただの動物虐待。牛が犯罪か何か犯したんですか?本当に気分が悪いですね。