アウシュヴィッツ。
日本出発時にここは行こうと決めてた場所の一つ。
やっと辿り着きました。
いざブログを書こうと思うと悩ましいんです。
僕たちが感じた、何を伝えればいいのか。何を伝えたいのか。
なんで行こうと思ったんだっけと振り返ったのですが、思い出せませんでした。
「戦争と言う悲惨なものの象徴的な場所を一度この目で見ておきたかった。」
そんな感じだったと思います。
多くの人は既にご存知かと思いますが、
アウシュヴィッツは第二次世界大戦時、ナチスの強制収容所があった場所です。
そして、この場所で、ユダヤ人を始めとする多くの人の命が失われました。
その数は諸説あるようですが、150万人とも言われています。
聞いていたし、知っていた。
わかっていたんだけど、
実際にその場に立ち、当時のものを目の当たりにする重さは相当なものでした。
「150万人」と言ってしまえば、なんだか数字の世界ですが、
1人×150万の人生がここで左右されたのです。
目の当たりにしてしまうとその1人1人の人生が思い浮かび、当時の様子が想像でき、
そこには言葉にはできない重いものが漂っていました。
やり方も、やった事もあまりに残酷過ぎて、
2人でツアーに参加していても言葉少なでした。
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第一強制収容所の門にある「働けば自由になる」の文字
初期はこの門をくぐり第一強制収容所に連れてこられていました。
「働けば自由になる」
明るい未来を見せたかったのか、はたまた死を暗示していたのか
第一強制収容所から3km程離れたところに、第二強制収容所(ビルケナウ)がありました。
写真で良く見かける強制収容所と繋がる線路はヨーロッパ各地と繋がっていたようです。
第一収容所に収容しきれなくなった多くの人はこちらに連れてこられました。
小さい木製の貨物車に100人もの人が詰め込まれ、何日も列車に揺られてきたのだとか。
到着直後に、
選別の結果、登録もされずガス室送りになった人も多数いると言われています。
こちらは証拠隠滅の為、解放直前に破壊したと言われるガス室跡。
第二強制収容所は、だだっ広い土地に、簡易な木造の小屋が立ち並びます。
9月でも肌寒い中、相当劣悪な環境だったことは容易に想像できました。
イスラエルの旗を掲げた団体が多かったのも印象的でした。
彼らは何を思ってこの場所に来ているのだろう。
ドイツのことを第二次世界大戦のことをどう思ってるのだろう。
アウシュビッツを見て、いろんな悲しい思いにふけりながら、多くのことが頭をよぎりました。
その中でも引っかかったこと。
「なんでこんなことにそもそもなっちゃったんだろう」
「日本もドイツと変わらないことしてたのかもな」
「なんでこんな現実を目の当たりにしたのに、紛争はなくならないのだろう」ということ。
語弊を恐れずに言えば、まだ911のテロって理解できるんです。
「強国アメリカに押さえつけられた一部のイスラム過激派が仕返しをした。」
その構図はまだ分かりやすい。
でも、ナチスのやったことは、あまりに理解できないし、
誰も止められず突っ走っていったことも中々に理解しがたいものがありました。
ただ、当時の戦争では日本はドイツと同盟国。
他人事のようにアウシュヴィッツを見ていましたが、
理解しがたいドイツと手を組んでいたんだよなと思うと複雑な思いでした。
日本だって戦争に一気に突っ走っていって、同じようにとめることが出来ず、
南京事件の様なことを起こしています。
歴史認識について詳しいことはよく分かりませんが、
人によっては日本も同じだと、一歩間違えれば同じことをしていたと言われても、
しょうがないんじゃないかなとも思ったりしました。
それは戦争に負けた国だけでなく、勝った国も同じだと思うのですが。
ここら辺は日本史をもう一度勉強したいところです。
自分たちはしないよ、って思ってる人が何かのきっかけに突っ走る。
自分は被害者にならないと思ってる人が、オレオレ詐欺に引っかかっちゃうのと同様、
多分渦中の人って気付かないことが沢山あるんだと思います。
証拠になるか分かりませんが、
これだけ平和が叫ばれているのに、紛争はなくなりません。
アウシュヴィッツにおけるホロコースト、広島・長崎の原爆、
悲惨な現状を認識しているはずなのに、みんな大義名分を掲げて争っている。
なんでなんでしょうね。
何も昔と変わっていない。
小っちゃい所ですが、
「やられたらやり返す」を個人的にぐっと我慢するところから、
平和が始まる気がします。
「倍返し」なんてもってのほかです。
あ。ドラマ見てもいないのに、流行りの言葉使ってみちゃいました。
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アウシュヴィッツを人に勧めるかと言われると、
年に1週間しか休めない日本のサラリーマンにはお勧めしないです。
まったく明るい気持ちになるものではないから。
でも、1ヶ月以上ヨーロッパを回ろうと思っている人には、
是非行って感じてもらいたいなと思う場所ではあります。
平和ってなんだろう。
僕たちはどこに向かうのだろう。
そうあらためて考えさせられる場所です。
とてつもなく重かったけど本当に来てよかった場所でした。
参考:クラクフからアウシュヴィッツの行き方
クラクフからアウシュヴィッツ(オシフィエンチム)までは、50km程度離れています。
クラクフからツアーも出ているようですが、
今回は自力で行ってきました。
-人のブログによるとツアーは100ズルチ(≒3,200円)位が相場の様です
自力で行く場合、バスか電車があるようですが、
電車は向こうの駅に着いてからも博物館まで1km超離れているようだったのでバスで行きました。
バスの時間は下記サイトで調べられます。
http://rozklady.mda.malopolska.pl/
「Z MDA Kraków」がKrakow発。
「Do MDA Kraków」がKrakow着。の様です。
空欄に「Oświęcim」と入れて、「DALEJ」をクリックすると先に進みます。
-アウシュヴィッツはドイツ語名で、ポーランドの地名はOświęcim(オシフィエンチム)です。
-「Oświęcim」は英語タイプできないのでコピペして貼るのが良いと思います
「Dzień」で日付を選んで、「Godzina」で時間帯を選び、
「SZUKAJ」を押すと、一覧が出てきて時刻を確認することが出来ます。
チケットは、
当日、クラクフ中央駅に隣接しているバスターミナルのカウンターに行ったら、
「運転手に直接払ってくれ」と言われたので、直接バスターミナルに行きました。
座れないと2時間近く立つか、
それでも人がオーバーすると希望のバスに乗れないので早めにいくことをお勧めします。
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