[2022.4.1]
外務省が呼称変更に関し、キエフをキーフ、チェルノブイリをチョルノービリと変更したことに伴い、ブログ中の表記も変更しています。しばらくは訪問することは難しいと思いますが、写真で現地の様子を知っていただければと思います。
この時お世話になったツアー会社の人と2022年2月に連絡を取ったのですが、無事であることを祈るばかりです。(2月時点の彼が受けたインタビュー(英語)https://youtu.be/6LFi1B7kv2Y)
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東日本大震災から約8年が経過しました。
フクシマでは、依然として、廃炉に向けた作業が続き、いまだ避難されている方も大勢います。
そんなフクシマの将来を考えるいいきっかけになるのではと思い、単身チョルノービリに行ってきました。
チョルノービリ(チェルノブイリ)の行き方
チョルノービリは、旧ソ連・現ウクライナにあります。
とはいえ、 チョルノービリにおいても、原発30キロ圏内の立入は制限されており、
勝手に訪れることはできません。
(一部ストーカーと呼ばれる勝手に訪問している人たちもいるようですが)
現在は、ウクライナ政府としてエリアを管理しており、
政府に登録している旅行会社のツアーに申し込むことでエリアの中を見学することができます。
(隣国ベラルーシも被爆しておりますが、 チョルノービリのあるウクライナに絞って調べました)
ツアーは、ウクライナの首都キーフを出発するため、
まずは キーフまで行き、それからツアーに参加するという形で、
チョルノービリに行くことができます。
チョルノービリ(チェルノブイリ)訪問ツアーの選び方
チョルノービリツアーは非公式に20年ほど前から行われていたようですが、
今では、10社ほどがツアーを運行しています。
「ツアーの内容をどう選ぶか」「ツアー会社をどう選ぶか」の2点で検討していくことになります。
自分の場合、2日間のグループツアーに参加してみたかったこともあり、
まずそれありきで、ツアー会社を選定することになりました。
日帰りグループツアーが一番メジャーで催行本数も多いようですが、
カメラマン等が5日間のプライベートツアーを選ぶこともあるようです。
ツアー会社を選ぶにあたっては、TripAdvisorの口コミ等を参考に、
行きたい日程でツアーが催行されそうか、等から絞って行きました。
チョルノービリツアー、SoloEast Travelあたりが老舗・大手のようです。
最終的にはメールのやり取りがいい感じだったSoloEast Travelに申し込みました。
冬は特に閑散期でもあるので、
最低催行人数に達しているかをチェックする必要があります。
事前にパスポート等の提出も必要なため、
現地行って日程変更したい、などといったことは不可能です。
遅くとも2週間前には申込を済ませておく必要があります。
英語が心もとなければ、
後述の本の著者と行くチェルノブイリツアーをHISが企画したりすることもあるようです。
キーフ(キエフ)行きの航空券を取得する
先に航空券を取ってもいいのですが、
自分の場合、ツアー最優先だったので、ツアーを決めてから航空券を取りました。
こちらは、スカイスキャナーで、東京⇄ キーフを検索すると、
どう行けば早く安く楽に行けるかが一目瞭然です。
結果的には、イスタンブール経由で行くことにしました。
値段的にほとんど変わらなかったこともあり、安全性を考え、
予約経路は、トルコ航空に直接申し込みました。
僕は キーフ到着の翌日からツアーの日程で航空券を取ったのですが、
振り返ってみると、ツアー前に、 キーフの チョルノービリ博物館に足を運びたかったな、と思いました。
事前にチョルノービリ(チェルノブイリ)について予習する
目的地の情報を先に頭に入れておくかどうかは人それぞれですが、
よく理解するためには、特に言語が不安な人は、先に情報収集することをお勧めします。
ネットにもいろいろ情報が転がっていますし、
自分の場合は、こちらの本を参考にしました。
どういうポイントがあるのか。
どういう人たちがツアーをやっているのか。等とても参考になりました。
ツアー出発前に、twitterで著者の東さん(@hazuma)をメンションしたところ反応をいただきました。
今後新しい書籍も出るかもしれません。
いざ キーフへ。円からの両替はレート悪すぎるので要注意。
久しぶりの一人海外で、旅行当日はだいぶドキドキでした。
キーフ空港降り立つと、英語もほとんどないレベル。
街に出るバスに乗るために現金を両替しなきゃと両替所に行きました。
Googleで調べたレートは、1UAHが4円弱だったので、
1万円出したら、2500UAHくらいもらえるだろうと思っていたら、
1万円は1300UAHだと言われました・・・。
おぉぉお!?
久しぶりの単発海外でボケていましたが、
日本と遠い国は、日本円との両替レートがすこぶる悪いことをすっかり忘れてました。
100ドルなら2500UAHくらいもらえるところが、1万円なら1300UAH。
とりあえず、1万円を引っ込めて、1000円だけ両替して、130UAH手にして街に出ました。
日本でドルに両替してから出発することをお勧めします
バス代100UAH。残金30UAH•••。心もとないスタートです。
その後、キャッシングにてお金引き出し、1UAH=4円弱で現金を手にしました。
よかったよかった。
ちなみに、 キーフは、
麺屋武蔵が300円くらいで食べられるくらいの物価の安さです。
慣れない場所なので、
ツアーの出発場所の近くに宿を取り、出発場所を確認してから街を散策しました。
1泊2日 チョルノービリ(チェルノブイリ)ツアーへ
とにかく1−2月のウクライナは寒いので注意です。
余裕の氷点下。
後で、注意書きに、防水のブーツでくるようにって書いてあることに気づきましたが、普通にスニーカーで行ってました。。。
暖パン、極暖、スウェットパーカーにウルトラライトダウン。
ユニクロさまさまです。
ネックウォーマーと帽子があったのがだいぶ助かりました。
寒さに強い方ですが、それでも寒かったので冬に行かれる方は防寒をしっかりと。
そんな寒い中でも、SoloEast Travelだけで28名ものツアー参加者がいました。
全部のツアー会社を合わせると今日は100名以上いるだろう、とのこと。
年間は、この会社だけで10,000−15,000人。
全部合わせると50000人くらいの観光客がいるようです。
ただ、寒い時期ということもあり、1泊2日のツアー参加者は4名のみでした。
キーフから2時間弱、車を走らせ、30キロ圏内へ。
チェックポイントでパスポートチェック等をし、中に入りました。
30キロ圏内に入ると、 チョルノービリ市の標識が出てきます。
その後、原発から15kmほど離れた チョルノービリ市にあるニガヨモギの星公園へ。
アートが飾られたエリアには、Hirosimaとのモニュメントも。
ちょうどここを作っている際に、東日本大震災があったため、
Fukusimaというモニュメントも作られたようでした。
雪に埋まっており、
ガイドがわざわざ日本人の自分のために立ち寄ってくれた感じでした。
30キロ圏内の チョルノービリ市にあるロッジのようなところで昼食を。
結局泊まったのも、翌日のランチもここでした。
その後、 チョルノービリ市内のスポットをいくつか回りました。
「 チョルノービリ、 チョルノービリ」って言いますが、
チョルノービリ市内から原子力発電所は少し離れていて、
チョルノービリ市自体の放射線はもうだいぶ線量も下がっています。
その後、原子炉建屋に近寄りました。
さらに接近します。
間近で見ると異様な建造物。
福島第一原発よりもなんだか異様な圧迫感が感じられました。
そして、近くはまだ高い線量でした。
その後訪れたのは原発のために1970年に作られ、
そして、1986年の事故で廃村となったプリピャチという街に向かいます。
途中にこんな標識が。
なんて書かれているかはわかりませんが、どうやらホットスポットのようで、
このホントまさにここに近づけると高い線量を記録しました。
そして、プリピャチの街に到着
バンを降りて、街を歩きます。
ただでさえ、廃村なのに、雪に閉ざされ、ものすごい寂しい印象を受けます。
ガイドの案内で、ずんずん、道なき雪道を進んでいきます。
廃墟となっているビルの中に入り、
ずんずん階段を登っていき、ついにははしごで屋上へ。
屋上からは、その名の通り、街を一望することができました。
下にいたときは、森に閉ざされた街という印象でしたが、
屋上に上がるとその街の規模に驚かされます。
でもこれだけ見えるビル、全部廃墟。信じられません。
1986年当時は、5万人住んでて、毎年1000人子供が生まれて、
平均年齢26歳のイケイケの街だったんだって。
それが、突然に幕を下ろしました。
福島と同じように、すぐ戻れるだろうと住民は思いながら避難し、
それっきり今も戻ることはできていないようです。
この規模の街が一瞬で廃村になってしまったんだな。。。
もちろん事故の前は、原子力の恩恵に預かってたんだと思いますが、
技術の前に、人はなす術がありません。
9階建てのビルの中をみんな自由に散策。
結構、ボコってあいたエレベーターとか、普通に落ちそうで怖かったです。
日本だと、まずもって廃墟に自由に入れないだろうし、
まずもって、こんな危険と隣り合わせの状態で解放しないだろうな。
結構な時間、黙々とこの街を散策。
なんとも心の痛い時間です。
なんていうか消化しきれない思いでした。
広島とも沖縄とも、アウシュビッツともグランドゼロとも違う感じ。
宿に戻って、夕飯食べて、疲れていたために比較的早く就寝しました。
翌日は、まだ30キロ圏内で住んでいる方のお宅を訪問。
こういう経験は、ツアーならではだなぁと思います。
30キロ圏内ですが、放射線量は、東京より低いレベルでした。
ガイドが30UAH出せというので、なんだなんだと思ったら、
集めたお金で、雑貨屋で手土産買って、その人へのプレゼントだったみたいです。
持ちつ持たれつで、うまくやってるみたいでした。
地元の人が食べるという脂をパンにのせ、
ウォッカのような飲み物もいただきました。
アルコール度数40度くらい。
コーラのペットボトルに入ってて水かと思った。
彼女はここで、鶏とか育てながら、トウモロコシとか畑を耕しながら、
犬・猫と住んでいました。
何を思っているんだろう。
その後、ソ連時代のレーダー施設へ。
もはや若干幾何学的で芸術的。
この原発エリアは、ソ連時代がそのまま残っていることもあり、
単に原発、という問題だけでなく、冷戦の影響も色濃く感じることができます。
平和でありますように。
ちなみに余談ですが、これ、何のしるしだと思います?
「きた、ここにもホットスポットがあるのか」と思いました。
でも、、、
ガイドが、おもむろに引っこ抜いて、別の場所に刺して、
「Photo spot」って言ってました。
これがあれば、どこでもPhoto spotになる、と。
ガイドのIgorさん、ドヤ顔でしたが、なかなか国民性の違いを感じました。
その後は、再びプリピャチへ。
原発の中をもうちょっと見たという人もいるようですが、
2日間ツアーでは、1日ツアーより、時間に融通が利くので、
みんなが興味ありそうな場所に、より時間を割いてあげている印象でした。
個人的には、原発周りをもうちょっと見たかったなぁ。
でも、廃墟に興味がある人が多いというのも現実なんだろう。
他にいたアメリカ人とイギリス人カップルは、
プリピャチの街が一番テンションが上がってた印象があります。
イギリス人の人も、軍艦島の存在とかも知ってたしな。
この日は再び別のビルの9階へ。
霧がなければ、原発が見えるとのことでしたが、
残念ながら チョルノービリ原発は濃霧の中でした。
プリピャチも、ホットスポットと呼ばれる、
放射線が異常に高いポイントはあるものの、
そこを除くと想像していたよりは低い放射線量でした。
0.70 0.18 0.15 この観覧車のある座席の裏の特定の場所だけ、異常値
福島は徐々に帰れる領域も増えてきているけど、
チョルノービリはもう住まないと決めたものすごい広い領域があって、
すでに33年が経過している、その無機質さがさらに寂しい印象を増幅させました。
それにしても、ツアーで、こんな勝手に、廃墟の中入っていいものなんだなぁ
ということに正直驚きました。
日本じゃ考えられない。
この辺りは、33年経ったということもあれば、政府が管理しているということ、
昔はソ連、今はウクライナであること、などが関係しているのかもしれません。
ルートの都合上、ランチは4時くらいにロッジに戻って取り、
その後、キーフまで戻ってツアー終了となりました。
クイックにポイント見たい人は、1日ツアーでもいいのかもしれませんが、
せっかくウクライナまで来たのなら、
2日ツアーでちょっと考えながらゆっくり見るのもいい経験かもしれません。
キーフ(キエフ)で訪れるべき国立 チョルノービリ博物館
キーフの街中にも、 チョルノービリを知ることができる場所があります。
それは、国立 チョルノービリ博物館です。
ツアー翌日に時間があったので、訪問してきました。
館内に説明書きはほとんどないですし、ぱっと見て分からないものも多いので、
オーディオガイドを借りて回ることをお勧めします。(日本語対応)
先に チョルノービリ博物館に行っておけばよかったかなと思うのは、
そこでは人の気配を感じることができ、事故の様子を知ることができるからです。
個人的に、顔写真や遺品を見ると、その人の生活を想像せずにはいられません。
自分がその立場だったら、どうしていたんだろう。。。
広島や福島に関する展示もされており、複雑な気分になります。
チョルノービリ博物館行って、2日間ツアーに行くと、
正直だいぶ重い気持ちにはなりますが、
旅行って、楽しいだけじゃなく、こうした教訓を知ることも大事だと思います。
ダークツーリズムへの賛否もあるけど、
歴史はどの国でも学ぶわけで、それは学ぶ価値があると信じているからで、
ダークツーリズムも、その歴史の学び方の一つなんじゃないかなと思うんです。
強烈な。
福島の将来に向けて何か考えられたかというと、
そんなすぐまとまるものではありません。
でも、ふと振り返ったときに参考になる一つの物差しとなる気はしています。
[追記]訪問前の必見ドラマ:チェルノブイリ
2019年にHBOというケーブルテレビ局でチェルノブイリが取り上げられました。
その名も、チェルノブイリ
このドラマの影響で、 チョルノービリを訪問する旅行者は倍増したのだとか
実際に見てみましたが、、、
政府と個人の思惑が交錯して、とても考えさせられる内容でした
チョルノービリに訪問される方は、是非訪問前に視聴されることをお勧めします
(2020年3月追記)
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